靭帯断裂のケガでアルペンスキーを断念し、ゴルフへ転向した大和笑莉奈氏。
コロナ禍で200人超が賛同する「女子プロゴルファーズ連盟」を設立した。
アパレル経営も始め、「三足のわらじ」で女子プロの新機軸を拓く。

女子プロゴルファー、大和笑莉奈(やまと・えりな)氏のキャリアは、度重なる逆境の克服によって形作られてきました。山形県出身。幼少期はアルペンスキーに没頭し、全国大会に出場を果たすほどの実力者でしたが、中学時代に左膝の前十字靭帯を断裂し、ゴルフへと転向。宮里藍さんら名だたるプロを輩出している名門・東北高校(宮城)では、団体戦6連覇という黄金時代を築き上げました。

しかし、その輝かしい実績の裏側で、挫折も味わってきました。プロテスト落選、単身米国での武者修行、そして「靭帯がない膝」で戦い抜いたレギュラーツアーでの死闘…。常にケガの再発という恐怖と隣り合わせでありながら、彼女の視線は常に「ゴルフ界の未来」へと向けられてきました。

2020年の新型コロナウイルス禍を機に、自身のアパレルブランドを立ち上げ、さらに2021年には200名以上のプロが賛同する「女子プロゴルファーズ連盟」を設立。現在は選手、経営者、団体代表という「三足のわらじ」を履きこなし、女子プロの新しい価値を創出し続けています。「人生に無駄なことは一つもなかった」と語る大和氏の、しなやかで力強いキャリアの全貌に迫りました。

スキーでの左膝大ケガを機にゴルフに専念…日によって変わる「緩さ」

――出身の山形県ではどんな幼少時代を過ごされましたか?

大和氏:兄の影響もあって小さい頃から普通の女子よりは結構活発な方でした。幼稚園の頃からアルペンスキーを始めたのですが、陸上もやっていましたし、結構いろんなスポーツにチャレンジするような子でしたね。ゴルフを始めたのは10歳ぐらいの時です。父に練習場へ連れて行かれたのがきっかけで、そこでレッスンプロに「センスがあるからやらせた方がいい」と言われて(笑)。でも、当時はプロになろうなんて1ミリも思っていませんでした。単に父や兄と一緒に練習に行けるのが楽しい、という家族のコミュニケーションの一環だったんです。

 夏はゴルフ、冬はスキーという生活をずっと続けていました。中学時代ではスキーで全国中学校スキー大会に出るくらい本気で取り組んでいました。

――そこから、なぜゴルフ一本に絞ることになったのでしょうか。

大和氏:中学2年生の時、スキーの試合中に激しく転倒して、左膝の前十字靭帯を切ってしまったのが最大の転機でした。危ないということは分かっていましたが、ケガをしたことで、「本当に怖いスポーツだな」と痛感しました。

 一方で、ゴルフなら年齢を重ねても、将来的に長く続けられる可能性がある。左膝のケガも、ゴルフのプレーには影響がなかったので、その時に競技を絞る決断をしました。ただ、当時は靭帯が完全に断裂していることに自分でも気づいていなかったんです。なんとなく膝がおかしいなと思いつつも、数年間そのままプレーを続けていました。

 高校生の頃、サッカーをしていた時に「ポキッ」といってしまって…。そこで病院に行ったら「左膝の前十字靭帯がありません」と(笑)。前十字靭帯がないと、すぐに脱臼みたいな感じになるんです。ただ、プロテストが目前だったので、手術をすれば1年を棒に振ることになります。珍しいケースらしいのですが、半月板など、ほかの部位で悪いところはないと言われたので、それじゃあ手術をしないでいこうとなり、今まで続いている感じです。

 今でも私の左膝は、日によって「緩さ」が変わります。「今日はちょっと怖いな」と思いながらティーグラウンドに立つこともあります。でも、その不自由さがあったからこそ、自分の体と向き合い、効率的なスイングを考える習慣がついたのかもしれません。

宮里藍さん父から勧められ東北高校入学…プロテスト落選で米国へ

――東北高校へ進学されたのはどのような経緯だったのでしょうか?

大和氏:これも運命的でした。中学3年の冬、山形は雪で練習できないので、宮里藍さんのお父さんである優さんに習いに沖縄まで行ったんです。進路に迷っていることを伝えると、優さんがその場で東北高校に電話をしてくださって、入学することになりました。もしあの時、沖縄へ行っていなければ、今の私はありません。

 東北高校ゴルフ部は、まさに「最強」の時代でした。女子は1学年に6人しかいないのですが、そのうち5人が全国トップクラスという怪物ぞろい(笑)。有村智恵さんや原江里菜さんが2学年上、菊地絵理香さんが1学年上。私の同期には木戸愛、一学年下に大江香織がいました。全員が「プロになるのは当たり前」という意識。そんな環境に放り込まれたら、嫌でも意識が変わります。

 高校3年生の時には、団体戦6連覇の偉業を達成することができました。そして2007年、アマチュアとして初めて出場したプロのメジャー大会「日本女子オープン」で、最終日までトップ10で戦えたことが、「プロの中でもやれる」ときっかけを与えてくれた試合になりました。

その後、同期では木戸愛、森桜子と3人でプロテストを受けました。他の2人がストレートで合格する中、私一人だけ落ちてしまったんです。絶対に受かると思っていたのですが、本当に屈辱でした。

 でも、そこで両親から背中を押され、単身で米国に乗り込み、フューチャーズツアーにも挑戦しました。米国では言葉も分からない、練習環境も整っていない、危険な目に遭ったりもしました。そこで、日本の環境がいかに恵まれているかを学びました。そして翌年、帰国して受けたプロテストは私の好きなタイプのコースだったこともあり、合格することができました。自分の人生において本当にいい経験になったんじゃないかと思っています。

2014年「ヨネックスレディス」で大山志保、成田美寿々とプレーオフ

――プロ入り当初は結果を出すことはできませんでしたが、2014年の「ヨネックスレディス」では、大山志保選手、成田美寿々選手とプレーオフを戦いました。

大和氏:あの試合は今思い出しても本当に楽しかったですね。ギャラリーの視線も全部そこにフォーカスされているのが分かるので、普段のプレーとは全く違います。結果は美寿々が勝ちましたが、レギュラーツアーで最も優勝に近づいた瞬間でした。

 一度、大山さんの合宿に参加させてもらったことがあるんです。朝から夕方までずっと練習場にいる姿を見て、練習量って本当に大事なんだなと痛感しました。

 その後、ステップツアーも含めて2位を何度か経験していますけど、試合はいっぱいあるので、自分の中でまた次頑張ればいいだろうという気持ちがどこかにありました。今振り返ると、五輪の一発勝負を戦うぐらいの気持ちでやる必要性があったなと思います。

――2020年からのコロナ禍がキャリアに大きな変化をもたらしました。

大和氏:試合が次々と中止になり、時間が止まりました。その時、ふと思ったんです。「試合がなくなったら、私たちプロゴルファーには何も残らない。居場所がなくなってしまう」と。それまでは自分のスコアのことしか考えていませんでしたが、初めて客観的にゴルフ界を見つめ直しました。ゴルフ界を盛り上げるために、自分たち選手ができることはもっとあるはず。でも、個人で動くには限界がある。だったら、同じ志を持つ仲間とチームを組んで、新しい価値を創出していこうと考えて立ち上げたのが「女子プロゴルファーズ連盟」です。

 最初は10人ぐらいからスタートしましたが、今では賛同してくれるプロが200人を超えています。具体的には、企業と女子プロを繋ぐマッチング、独自のレッスンイベントの開催、そして新しい試合の提案などを行っています。大きな組織にはできない、もっと草の根的で、かつ柔軟な活動。選手にとっても、試合以外の収入源や活動の幅を広げることは、10年後、20年後のセカンドキャリアを見据えた上でも非常に重要だと考えています。

追求し続ける「いかに短時間で効率よく質を上げるか」

――現在は選手、ゴルフアパレルブランド「ESPRIT(エスプリ)」のプロデュース、女子プロゴルファーズ連盟代表と「三足のわらじ」を履いています。

大和氏:正直、大変です(笑)。以前のように、練習時間に100%を割けなくなりましたから。でも、ビジネスの視点を持つことで、逆にゴルフの練習も「いかに短時間で効率よく質を上げるか」を追求するようになりました。自分の身体も大切にできるようになりましたし、やはり選手として長くゴルフを続けていきたいという思いもあります。また、活動の幅が広がったことで、良い意味で自分を客観視できています。いろんな業種の方と出会い、普通では聞けないようなお話を聞けることが、今の私にとって最大のモチベーションになっています。

 ゴルフブランドに関しては、そこまで大きくしたいというイメージはありません。ただ、自分が好きなウエアを着てプレーしたいというのと、それが欲しいと言ってくれる方に販売していきたいという感覚です。広くやっちゃうと、アパレルって難しいんですよ(笑)。

――オンとオフはどのように切り替えていますか?

大和氏:美味しいものを食べたり、作ったりするのが好きですね。あと、お酒やサウナ、美容でリフレッシュしています。スキーもやりたいんですけど、プロになってからはやってないです。どうしても膝が恐いですし、遊びではできないと思うんです(笑)。ただ、スキーをやっていたことで、体幹や下半身の使い方、傾斜地でのバランスの取り方は本当に鍛えられたと思っています。

――大和さんの最終的なゴール、そして今後のビジョンを教えてください。

大和氏: 私の大きな目標の一つは、地元の山形、そして東北にゴルフを通じて貢献することです。山形県は大好きな場所ですが、まだ女子のトーナメントが開催されていません。いつか自分たちの力で、山形の人たちが「ゴルフって素晴らしい」と感じられるような独自の大会やイベントを定着させたい。地域を活性化させる力、それがゴルフにはあると信じています。

 そして選手としては、「優勝」の味を噛み締めたい。どんなに小さな試合でも、勝つことの難しさと喜びは変わりません。女性としても選手としても、まだまだこれからだと思っています。中学の時に膝をケガしていなかったらゴルフを続けていないだろうし、宮里優さんの指導を仰がなければ東北高校へも入学していません。プロテストの落選も、米国へ行ったことも、全ては今に繋がっていたと実感しています。

 いろいろなタイミングでいろいろな方が現れて、影響力をもたらしてくれたのが私の人生なので、感謝しかありません。今度は私が周囲に影響力を与えられるよう、常に自分磨きをしていきながら、「女子プロゴルファーの新しい生き方」を発信していきたいです。

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