室町時代から700年続く狂言の家に生まれた大藏基誠氏。
「日本っぽさ」ではなく本物の「日本らしさ」を未来へ残すという強い使命感を持つ。
祖父が遺した言葉を胸に、次男として、父として、伝統を正しく繋ぐ。
室町時代から700年以上の時を超えて受け継がれてきた、日本最古の演劇の一つである「狂言」。その伝統を双肩に担う一人が、能楽師狂言方大藏流の大藏基誠(おおくら・もとなり)氏です。幼少期から「日本国民は全員、狂言をやっているものだ」と信じて疑わないほど、その人生は狂言と不可分にありました。
しかし、伝統の重みは時に若き才能に葛藤をもたらします。華やかな世界に憧れ、父である二十五世宗家・大藏彌右衛門(やえもん)氏に「辞めたい」と漏らした高校時代。しかし、母方の祖父から贈られた「ある言葉」が、彼の狂言師としての方向性を決定づけました。
現在、大藏氏は「狂言ラウンジ」などの新しい試みを通じて、本質的な「日本らしさ」を追求しています。「伝統芸能は過去ではなく、未来のためにある」と語る大藏氏。彼が見据えるのは、まだ見ぬ「ひ孫」が舞台に立つ100年後の景色です。独自の感性で文化防衛の最前線に立つ大藏氏に、その決断の軌跡と、伝統を紡ぐことの真意を詳しく伺いました。(内田 勝治=ライター)
奥底にある「日本らしさ」を伝えることが使命
――大藏さんの現在の活動状況を教えてください。
大藏基誠氏(以下、大藏氏): 能楽師狂言方という肩書きで活動しています。能楽は室町時代から続く、現存するお芝居としては世界最古といわれる芸能です。私はこの700年以上の歴史を有する狂言を職業としています。
――現代において、狂言はどのような層に支持されているのでしょうか。
大藏氏: ご年配の方はもちろんですが、最近では中学生の男の子が熱心に通ってくれることもあります。幅広い世代に楽しんでいただいてはいますが、正直なところ、それほど世間に認知されているわけではないという実感もあります。今、世の中にはエンターテインメントが溢れており、表面的な華やかさだけでは太刀打ちできません。だからこそ、その奥底にある「日本らしさ」を伝えていきたいと考えています。
――そのために、SNSの活用や、パーティー感覚で気軽に楽しめる「狂言ラウンジ」といった新しい試みもされていますね。
大藏氏: 2010年頃からDJを呼び、お酒を飲みながら狂言を楽しむイベントを始めました。ただ、これは単に若者を取り込むための「異業種コラボ」とは少し違います。私が伝えたいのは「日本っぽさ」ではなく、「日本らしさ」なんです。
例えば空港のお土産屋さんで、外国の方が着物を買っているのを見かけます。お土産として持ち帰る、それ自体は非常にいいことですが、外国製のものも少なくありません。着物に興味を持ってもらうのはいいのですが、それはあくまで「日本っぽい」着物。対して「日本らしさ」とは、日本の職人さん、縫い子さんが丹精込めて仕上げ、その背景にある歴史や精神性まで含んだものです。
日本は戦後、多くの文化を取り入れ、アップグレードしてきました。仏教伝来の時もそうだったように、日本人は外からのものを取り入れるのが非常に得意な民族です。しかし、その過程で本来持っていた「らしさ」が薄れてしまっているのではないかという危機感があります。特にここ最近、その傾向が顕著であることに胸を痛めています。どこへ行っても同じような景色になってしまうのはつまらない。その国、その土地独自の色があるように、狂言という日本の伝統を守っていきたいのです。
日本全国の人が狂言をやっていると思っていた幼少期
――代々続く狂言の家に生まれ、ご自身がこの道に進むと決めた「決断の瞬間」はあったのでしょうか?
大藏氏: 実は、明確な決断の瞬間というのは存在しないんです。うちは代々狂言を生業としており、父や祖父、親戚はもちろん、母も大学時代に狂言サークルに入っておりまして、周囲はみんな狂言をやっていました。小学生に上がるまでは、日本全国のみんなが狂言をやっているものだと思っていたくらいです(笑)。それぐらい人生の中にどっぷりと、当たり前のように狂言がある感覚でした。
――狂言をやることに迷いや葛藤はなかったのですか?
大藏氏: 正直なところ、今でもたまに「辞めたい」と思うことはありますよ(笑)。大きな節目は、2008年に息子(康誠)が生まれた時ではないでしょうか。「自分が指導していかなければならない」「この伝統を絶やしてはいけない」という強い責任感、つまり「覚悟」を決めたのはその時かもしれません。
――息子さんには、跡を継ぐように強く勧めているのでしょうか?
大藏氏: 強要したことはありません。ただ、遠回しには伝えています。「ご先祖様が命をかけて守ってきたんだけど、どうするの?」って(笑)。
高校生の頃、自身も父に「辞めたい」と言ったことがあります。やりたいことがいっぱいあって、華やかな方に目が行ってしまいました。父にそのことを伝えたら、「お前は次男だから辞めていいよ」と軽々しく言われました。めちゃくちゃ腹が立ちましたね。もしかしたら、私の天邪鬼(あまのじゃく)的な性格を見抜いて、そう言えば食らいついてくると分かっていたのかもしれませんが、結果的に私はこの世界に踏みとどまりました。
――息子さんと稽古中にぶつかることはありますか?
大藏氏: 本当にたわいもないことでよく喧嘩しますよ。息子は今、ちょうど周りの友達が就職や大学受験を考えている時期なんです。そんな中で、「なんで自分は稽古なんだ」と。その葛藤が分からないでもないんです。ある時、彼が「もうやりたくない」という言葉をぐっと飲み込んだことがありました。その時は褒めてやりました。その言葉を口にしていたら、私の性格上、「もう辞めていいよ」と言っていたと思います。それを踏みとどまったのは、彼なりの成長ではないでしょうか。
祖父が遺した言葉「扇を取れば不倶戴天の敵と思え」
――狂言師としての方向性を決定づけた、恩師のような存在はいらっしゃいますか。
大藏氏: 身内になりますが、母方の祖父である塙康雄(はなわ・やすお)です。祖父は元々、中学校の教師で、戦時中は学徒出陣も経験した人でした。私にとっては非常に面白い、魅力的な人でしたね。 実は祖父には息子がおらず、娘である私の母が大藏の家に嫁いだことで、塙の家は途絶える運命にありました。私は大藏家の次男だったので、ある時、祖父に「僕が塙の養子に入るよ」と言ったんです。芸名が「大藏」で、本名は「塙」でもいいわけじゃないですか。でも祖父は「お前は大藏の人間として生きていくべきだ。塙の家は俺の代で潰すから」と断られました。私の将来を一番に考え、純粋に「大藏家の人間」でいてほしかったのかもしれません。その覚悟の強さに打たれました。
――その祖父から贈られた言葉などありますか?
大藏氏: 私が結婚するタイミングで亡くなったのですが、入院先の病室で書いてくれた言葉があります。「ひとたび扇(おうぎ)を取れば、師匠も弟子もなく、不倶戴天の敵と思え」。元々はどこかの武術の心得で「ひとたび剣を取れば」だったものを、私のために「扇」に変えてくれたのでしょう。
狂言では通常、長男(彌太郎)が主役(シテ)を務め、次男の私が相手役(アド)を務めることが多いんです。私は「シテ」を立てる芸に徹してきました。常に「次男」として振る舞ってきました。しかし、祖父は、「舞台に上がったら兄も父も関係ない。自分を輝かせるために努力をしろ」と背中を押してくれたんだと思います。相手の胸を借りるのではなく、一人のプロとして対峙する。どうすれば「シテ」を立てつつ、自分の芸を成立させられるか。その教えが、今の私の支えになっています。
伝統芸能を継承していくことは「お箸を持つ感覚に近い」
――45歳を過ぎてから、伝統芸能に対する見方に変化はありましたか?
大藏氏: 最近ふとした時に気づいたのは、「伝統芸能は過去のことをやっているようで、実は未来に残すためにやっているんだ」ということです。今、私たちが狂言を辞めてしまうのは簡単です。でも、未来の人たちに「狂言をやりたかったのに、なぜ辞めてしまったのですか?」と恨まれたくない。 新型コロナウイルス禍で、人が集まれないからという理由で途絶えてしまった地域のお祭りがたくさんありました。一度途絶えたものを復活させるのは至難の業です。その危うさを目の当たりにしたからこそ、続けることの意味をより深く考えるようになりました。
――伝統芸能を「続けていく」というのは、具体的にどういう感覚なのでしょうか。
大藏氏: お箸を持つ感覚に近いかもしれません。お箸は一番身近な「伝統芸能」です。親から教わった持ち方を、正しく次へ繋ぐのか、適当に繋ぐのか、あるいは繋げないのか。狂言も同じです。先祖が守ってきたものを、そのまま伝えるか、自分で磨いて伝えるか。いつまでも残っていく「美しい箸の持ち方」をしようよ、ということです。
――その「美しさ」を維持するために、どのような姿勢で舞台に臨んでいますか?
大藏氏: どんなことでも「楽しんだもん勝ち」だと思っています。辛いことや悲しいこともありますが、それをどれだけ楽しめるか。楽しんでいる人を見ると、周りも楽しくなるじゃないですか。私が辛そうにやっていたら、息子だって「そんな辛いことやりたくない」と言い出すと思います。もちろん、芸がうまくいかなかったり、弟子や息子にうまく伝えられなかったりして、自信をなくすこともあります。息子の舞台での失敗は私の責任ですから、緊張しすぎて吐きそうになることもありますが、それも生きていればこそ、です。
700年続いた狂言という「楠」を次代へと繋ぐ
――大藏さんの活動の最終的なゴールはどこにあるのでしょうか。
大藏氏: 自分の「ひ孫」が舞台に立って、一人前になった時でしょうか。おそらく生きてはいないでしょうが、私のマインドがそこまで伝承された時に目標は達成されたと言えます。墓の中から万歳しているのではないでしょうか(笑)。
我が家では昔から「楠(くすのき)のような存在であれ」という教えがありました。楠は華やかな花を咲かせませんが、長い年月をかけて巨大な木になります。一瞬のブームや派手さを追う必要はない。地道にコツコツと根を張り、1ミリでも2ミリでも幹を太くしていく。700年続いてきたこの「木」を維持し、次代へと繋げていきたいと思っています。
この教えは江戸初期に活躍した大藏虎明(とらあきら)という先祖が残した『わらんべ草』という本に書かれています。後世に生まれてくる私たち子孫に対して残してくれた「生き様」が書かれています。10年前に読んだ時と今読むのとでは、捉え方が違ったりもします。非常に奥が深くて、10回読んでも理解しきれない部分が多くありますが、そこに書かれている「生き様」が今の私の指針になっています。
――もし狂言師でなかったら、何をされていたと思いますか。
大藏氏: 投資家ですかね(笑)。小学校の時はサッカー選手になりたくて、高校時代は消防士でした。まあ投資家はさておき、根底にあるのは「国に恩返しがしたい」という思いです。私が狂言をやることは、ある意味で国の「文化防衛」じゃないですか。武力ではなく、文化で防衛して、日本人のアイデンティティーを守る。それが、私が狂言の道で生きる最大の意義だと思っています。