ドルトン東京学園でイノベーションを起こし続ける安居長敏校長。
42歳で起業、異業種での4年間を経て再び学校現場へ。
受験の「アプリ」ではなく人生の「OS」を構築する教育を目指す。
「いい大学に入り、いい企業に入れば一生安泰という時代は終わった」——。誰もがその不条理に気づきながらも、従来の受験教育や前例踏襲の枠組みから脱却できずにいる日本の教育界において、一条校(国が認めた正規の学校)という制度の内側からイノベーションを起こし続けている教育者がいます。ドルトン東京学園中等部・高等部(東京・調布)の安居長敏(やすい・ながとし)校長です。
安居氏は滋賀女子高等学校(現滋賀短期大学附属高等学校)で20年間にわたり教鞭を執り、学校改革を牽引した実績を持ちながらも、42歳で地位を突如投げ捨てました。24歳で経験した母親の死を契機に「自分の好きなようにやってもいいんじゃないか」と一念発起し、コミュニティFM局の開局や個人事業主としてのPC訪問サポートなど、学校の外の社会を腕一本で生き抜いてきた異色の経歴を持っています。
「他校が受験というアプリケーションを配るなら、うちは人生のOSを作る学校だ」と語る安居氏。デジタル全盛の今だからこそ人間が回帰すべき「アナログ」の本質と、「面白いものが2つあったら苦しい方を選べ」という覚悟の源泉に迫ります。(内田勝治=ライター)
女子高での「洗礼」と学校改革で鍛えられた現場感覚
——安居さんは2022年にドルトン東京学園の校長に就任されました。ドルトン東京学園の特色を教えてください。
安居長敏氏(以下、安居氏): 一言では言い切れない学校ですが、一言で表すならば「こんな学校があったらいいな」を、そのまま国の一条校(学校教育法の第1条に掲げられている教育施設の種類)という制度の中で実践している学校です。いろいろな仕組みが一般的な学校とは違いますが、その根源は、100年前に米国で誕生した「ドルトンプラン」という教育思想にあります。私たちが何よりも大切にしているのは、その中核をなす「自由」と「協働 」という2つの原理です。
子どもたちには学ぶことの自由を最大限保障しますが、ただ好きなことだけを勝手気ままにやるのでは意味がない。学びの自由の裏側には果たさなければならない責任があります。子どもたちには、その「自由と責任」をセットで実感させたいのです。
同時に、自分一人でできることには限界がある。だからこそ、できないことは誰かに頼り、一緒にやった方がより大きなことができる。それを肌で感じさせるのが「協働」の原理です。建物から授業のあり方、学校行事に至るまで、すべてはこの「子ども自身が考え、行動する環境」のためにデザインされています。
——安居さんご自身が教育の道を志した原点はどこにあるのでしょうか?
安居氏: 私は滋賀の厳格な農家の長男として生まれました。その私に柔らかく、そして温かく接してくださったのが、小学校低学年の時の女性担任でした。「自分のやりたいことを最大限にやっていいんだよ」と仰ってくれたその存在があまりにも大きく、自分もできたら先生になりたいと思ったのが始まりです。
大学でも自然な流れで教員を志してはいましたが、最初のキャリアとなった滋賀女子高校への着任はまさに「偶然の産物」でした。私はずっと公立の出身で、堅苦しいと感じていた節があったので、教員になるのなら私立で思い切りやりたいと常々思っていました。ただ、私立の採用がなく、一度は広告デザイン会社への就職を決め、社長と食事まで共にした直後の3月、突発的な欠員が出た滋賀女子高校から声がかかり、広告デザイン会社に断りを入れ、新卒で採用されることになりました。
ただ、大卒1年目の右も左も分からない男子教員が、いきなり1200人の女子生徒がひしめく現場へと放り込まれ、生徒指導を任されました。当時は長いスカート丈が全盛の時代でしたので、物差しで測ったり、パーマをかけてきた生徒を美容室へと連行したりしたこともあります。
2年目からはクラスの担任になりましたが、全校集会では「なんでお前のクラスだけ違反者が多いんだ」とやり玉に挙げられたり…。様々な「洗礼」を受けました。そうやって生徒とともに10年頑張り、そこから10年は共学化や、普通科への転換などに向けた学校改革を行いました。この生々しい摩擦の中で「現場感覚」と「対話力」が徹底的に鍛え上げられました。
組織を飛び出して腕一本で稼いだ4年間で築かれたマインド
——その後、42歳で20年勤めた学校を退職して起業します。何が背中を押したのでしょうか?
安居氏: 将来構想の提案がまとまり、理事長決済が下りたタイミングでの決断でした。いろいろとやらせていただき、楽しかった20年ではあったのですが、背景にあったのは、24歳の時に経験した母親の死です。
母は死んだのに、ふっと窓の外を見たら普通に車は走っているし、世間は人が一人死のうが生きようが何も変わらない。「自分が生きようが死のうが、世間には関係ないのであれば、自分の好きなようにやってもいいんじゃないか」という考えに至りました。そこからすぐに行動を起こしたわけではありませんが、40歳を過ぎたあたりからインターネットが普及し始め、自分のウェブページを作ったりもしていたので、「教員の世界だけでは狭すぎる」という思いが爆発しました。周囲が止める中、妻だけが「やったらいいんじゃない」と一言、背中を押してくれたんです。あの言葉がなければ、今の私はありません。
——退職後に立ち上げられたコミュニティFM局や、PCの訪問サポートという異業種での経験は、現在の教育にどう生きていますか?
安居氏: 阪神・淡路大震災が起こった時に、大手メディアではなく、コミュニティのFM局が情報伝達に大きな役割を果たしたという話を聞きました。そういう地域のメディアを作ることは社会的に意義があると言い出した知人に賛同する形で立ち上げました。厚さ10センチに及ぶ書類と格闘しながらようやく電波申請の認可が下りました。しかし現実は甘くなく、生活費を稼ぐために個人事業主としてPCの訪問サポート業務を並行して始めました。1日4件ほど、個人の自宅を回り、インターネット回線を繋ぐ。1対1で泥臭く相手を満足させる中で、ビジネス感覚が研ぎ澄まされました。
決して順風満帆な4年間ではなく、華々しいことはできませんでしたが、メディアの中にいたという経験は面白くもありました。学校という守られた組織から飛び出し、自らの責任と腕一本で稼ぎ、異業種の人脈と繋がったこの4年間の体験があるからこそ、「学校の外の社会、企業、地域と繋がって新しい価値を創る」という現在の私のマインドが決定づけられました。
学校現場復職後に民間感覚を活かした数々の改革を実行
——滋賀学園中学・高等学校で学校現場に復職後は、数々の大胆な改革を成し遂げられました。その原動力は何だったのでしょうか?
安居氏: 民間感覚をフルに生かしたブランディングです。滋賀学園の校長時代には、日本HP主催のプレゼンコンテストに応募し、優勝したんです。それを機に企業を巻き込み、テレビコマーシャルや全国紙の全面広告などの支援を受けて学校の全面的なICT(情報通信技術)化を成し遂げました。
その後、縁あって赴任した沖縄のインターナショナルスクールでは、英語が話せない校長として着任しましたが、「格好をつけずに全員を頼る」という姿勢を貫くことで、外国人教員たちとの信頼関係を築くことができました。完璧な人間などいない。できないことは、できる人間に頼めばいい。ここでもドルトンプランの「協働 」の本質を、自らの弱みをさらけ出すことで体現してきました。
——ドルトン東京学園ではどのようなシステムを実装しているのですか?
安居氏: 一番大きいのは、中高6学年を縦割りにした「ハウス」と呼ばれるコミュニティです。本校では、他校のような同学年の生徒によって編成されたクラスをベースにしていません。 中1から高3までの6学年の生徒が1学年4~5人ずつ、合計25人程度集まって学校生活を過ごします。
通常の授業は、同学年の生徒で構成する学習グループ単位で行いますが、それ以外の活動は「スモールハウス」と呼ばれる異学年混合で行動します。体育祭や文化祭などの行事は「ビッグハウス」と呼ばれる全校生徒を学校名「D・A・L・T・O・N」の文字のいずれかを付けた6つのグループに分けて行います。生徒は自分のペースで進められる「アサインメント(課題ガイドブック)」を使って自分で学びを作っていき、先生は教える人ではなくサポートやアドバイスをする人に徹します。高校になれば、国が定めた必履修科目以外はすべて選択制なので、高2、高3で空きコマをたくさん作って将来を自分で決めることもできます。
——その環境の中で、生徒たちから驚くような自発的アクションは生まれていますか?
安居氏: 世界で活躍する10代を集めてイベントをやりたいと、海外のDJやダンサー、ボーカリスト、アーティストらに直接メールを送り、企業から1000万円を超える資金を集めて、大型施設でビッグイベントをやり切った生徒がいました。ほかにも、ドローンの世界大会で優勝したり、企業から会社設立資金の提供を受けて実際に会社を作ったりした子もいます。これらは大学入試の総合型選抜においても、ドルトンでやってきたことをそのまま書類にするだけで、強力な実績になります。
「アプリ」ではなく「OS」を構築する…デジタル全盛だからこそアナログ回帰
——親御さんとしては「自由すぎて大学受験は大丈夫なのだろうか」という不安もあるかと思います。
安居氏: 「いい大学に入って、いい企業に入れば一生安泰という時代ではありません」とお伝えしています。そのことは皆さんも感じていらっしゃるわけです。塾や周囲に言われると保護者も不安になりますが、実際に卒業生が出ている今だからこそ、自信を持って言えます。
どこに行っても通用する、自分自身で人生を納得して作っていける力をドルトンは全力でサポートする。他校が受験という「アプリケーション」をたくさん用意してくれるなら、うちは「OS」を作る学校です。アプリケーションは後からいくらでも自分でチョイスできますから。そうお話しすると深く納得されますし、今ではほぼすべての保護者がこの理念に共感して子どもを預けてくれています。
——2019年の開校から8年目を迎えました。これからドルトンをどう成長させていきますか?
安居氏: さらにシンプルに、研ぎ澄ます形に持っていきたいです。今年は中等部で試験的に、 4週間に1回、火・水・木曜日の午後の授業を、生徒が自分で何を学ぶかを決められる時間にしています。人に言われた通りに動く方が楽ですが、あえて余白を自分自身でコントロールさせる。これはハードルが高いですが、そういう環境を作ってあげれば、子どもたちは自然とできるようになります。
——これからの時代、教育現場において何が最も重要になるとお考えですか?
安居氏: デジタル全盛の今だからこそ、教育の本質は「アナログ」にあると確言します。本校の生徒は中1から全員PCを持ち、オンラインをフル活用していますが、デジタル一辺倒ではありません。AIやロボットがデジタルな存在なら、人間こそがアナログに回帰し、身体や思考を使って泥臭く動かなければ、機械には勝てません。
学校という箱や枠にとらわれず、やりたいことがある人間が集まって豊かに生きる場を作りたいんです。極端な話、やりたいことがある人が公園に集まって3時間過ごした、それを学校と呼べばいいじゃないか、というイメージです。
——安居さんは現在60代。いわゆる「詰め込み教育」や激動の変革期を潜り抜けてきた世代ですね。
安居氏: 私たちは世の中の方針に振り回され、大人の都合で制度が変わる不条理を何度も目撃してきました。だからこそ、国や大人の都合で子どもたちの貴重な時間を奪うことがどれほど残酷か、身をもって知っています。
学校と社会に横たわるギャップを本気で変えようとしなかった既存のシステムを待っていたら、目の前の生徒たちを救うことはできません。「一条校の枠組みの中で、僕たちが今、最高の環境をデザインすればいい」。その使命感こそが、私のすべての行動力の源泉です。
——最後に、これからの時代を生きる若者たち、それから人生の転機に立つ人々へ、メッセージをお願いします。
安居氏: 人生の選択に正解なんてありません。自分で選んだ道を、後から正解にしていけばいいんです。もし、目の前にいくつかの選択肢があるなら、自分が「一番おもろい」と思う方へ飛び込んでみてください。
そして、もし同じくらい面白いものが2つあって迷ったなら、あえて「苦しい方」を選んでほしい。なぜなら、その苦しさの先にしか、人間としての本当の成長も、誰も見たことのない新しい景色も広がっていないからです。私はこれからも、自らの背中でその「おもろい生き様」を示し続けていきたいと思っています。