日の丸を背負いリオ五輪やA代表のピッチを経験してきた鈴木武蔵氏。
移籍したベルギーでは結果が出ない焦燥感から鬱状態に陥ったことも。
「どんな場面でもベストを尽くせ」激動のプロ生活で得た「人の道」とは。

プロサッカーチーム・栃木シティのストライカー、鈴木武蔵(すずき・むさし)氏。これまで2016年リオデジャネイロ五輪やA代表のピッチも経験するなど、華々しいキャリアを築いてきましたが、そのサッカー人生は決して平坦な道のりではありませんでした。

高校時代、自動車専門学校への進学を考え、工場勤務を現実的な未来として見つめていた少年は、偶然U-16日本代表監督の目に留まり、その運命を激変させます。しかし、待っていたのは華やかな成功だけではありませんでした。挑戦したベルギーの地では、曇天と結果が出ない焦燥感から、重い鬱(うつ)状態に陥ります。「転職サイトを見ていた」と吐露するほどの深い闇…。

鈴木氏はそんな絶望の底から、どのようにして再びピッチへと這い上がり、本気でJ1昇格を狙う地方クラブのポテンシャルに未来を賭けるに至ったのでしょうか。激動のキャリアの中で彼が掴み取った「どんな場面でもベストを尽くす」という本質、外れることのない「人の道」としてのリスペクト、そして神様が与えた試練の先に見た景色に迫ります。(内田勝治=ライター)

野球からサッカーへ…アンリに憧れた点取りドリブラーの原点

――栃木シティとの契約を更新し、秋春制の2026/27シーズンはチーム初となるJ2リーグを戦います。悲願のJ1昇格にかける思いについて聞かせてください。

鈴木武蔵氏(以下、鈴木氏):栃木シティとしては初のJ2リーグを戦うことになるので、J1昇格の手助けになれたらいいなと思っています。栃木は実家の群馬から近く、ほぼ地元のようなものなので、そこからJ1のクラブが誕生するという歴史を作りたいですね。

――鈴木さんがサッカーを始めたきっかけは何だったのでしょうか?

鈴木氏:単純に友達に誘われて始めたのですが、それまでは野球をやっていました。友達が野球肘になるぐらい投げこんでいて、そのせいか、僕もたまに投げたら肘が痛いです(笑)。

  小学校2年生でサッカー部に入ってから、のめり込んでいきましたね。振り返ってみると、当時はドリブルしかしていませんでした。調子のいい時は、キックオフからドリブルで全員抜いてゴールを決めたこともあります。その頃は、ティエリ・アンリ(元フランス代表)選手にずっと憧れていました。技術、身長、スピードに加え、斜め45度からのシュートも本当に精度が高くて、衝撃を受けました。今でも、グッズが出るたびに買いに行こうと思っているくらいファンなんです(笑)。

――小学校、中学校で飛び抜けた才能を発揮されて、高校は桐生第一高校に進学されます。いろんな選択肢があった中で、なぜ桐生第一を選ばれたのですか?

鈴木氏:中学時のクラブチームの代表のすすめもありました。それと、桐生第一と前橋育英の試合を観に行った時に、凄くいいチームだなと思ったんです。桐生第一はそれまで全国大会に出場したことがなかったのですが、可能性のあるチームだと感じたし、自分が入って、前橋育英を倒して全国大会に行きたいなと純粋に思ったんです。あと、寮に入るのが嫌で、家から通える高校がよかったというのもあります。

――高校1年時は基礎練習を徹底して公式戦に出場することはありませんでした。

鈴木氏:小学校、中学校と自分の好きにやっていたので、高校の戦術がある中でのプレーが最初は一切できませんでした。例えばボールを受けてワンタッチで落とすとか、その判断の部分、フォワードとしての動きを徹底的に教えてもらいました。今となっては自分にとってベースとなる部分が作られたので、本当にいい練習、いい時間だったなと思います。

 その成果もあってか、3年時の(全国高等学校サッカー選手権大会)群馬大会決勝で前橋育英を倒して全国出場を決めました。試合内容も0対2からの3対2の逆転勝利とドラマチックな内容で、歴史を作ったなと感じました。ちなみに、その試合で僕はゴールを決めていませんが、全国大会の初戦(島根・大社戦)ではハットトリックを達成することができました。チームも初出場でベスト8に進出するなど、前橋育英を倒したことによって完全に自信がつき、怖いものはなかったですね。

専門学校進学も考えた高校時代、アンダー代表入りで一変

――プロを意識し始めたのはいつ頃からですか?

鈴木氏:高校3年ぐらいですかね。最初は自動車の専門学校に進学して、将来は軽くサッカーをやりながら自動車工場で働きたいなと思っていました。アンダー日本代表に入ってから、Jリーグのスカウトの人が見てくれるようになって、プロになれるということを確信して、その後、アルビレックス新潟に練習参加をして入団を決めました。

――入団当初、プロとアマチュアのレベルの差を感じましたか?

鈴木氏:みんな能力は高いし、クレバーな選手が多いし、高校とはまた違った壁にぶち当たりましたね。技術面はもちろんなのですが、メンタル面が違いました。サッカーは試合に出られない時や負けた時に自分のメンタルをコントロールしていくのが本当に難しいスポーツなのですが、そんな時も先輩方は淡々と練習したり、勝利へ向かって邁進したりしているのが本当に凄いなと思いました。

――その後、2018年に長崎、翌2019年には札幌で2年連続2桁得点をマークしました。好調の要因は何だったのでしょうか?

鈴木氏:チームの戦術にうまくフィットしました。当時、長崎の高木琢也監督や、札幌のミハイロ・ペトロヴィッチ監督といったいい指導者に巡り合えたことが、うまく結果を出せた要因だと思います。高木監督からはよく監督室に呼び出されて、個別で指導を受けたりしました。きっちりとやるタイプの監督でしたけど、試合の中では「チーム戦術をやりながら、自分の特徴も出していけ」と言われていました。

――その活躍が認められ、2019年にはA代表に初選出されました。プロ入り後の8年間でどこに成長を感じていましたか?

鈴木氏:技術の部分と、考える力は凄く成長したかなと思います。以前は身体能力だけでプレーしていましたが、本当にいろんな経験を経てよく考えるようになったし、いろんな指導者に出会って、いいところをたくさん吸収することができました。代表では、大迫勇也選手から刺激をもらいました。ボールを収める能力や、シュートの技術は日本の歴代の中でもトップ5に入るストライカーではないでしょうか。直接アドバイスをもらうことはありませんでしたが、練習でいろいろ見て学ばせてもらいました。

夜な夜なスマホで「転職サイト」を閲覧「心が病んでしまっていた」

――2020年には次なる挑戦の場としてベルギーチーム(ベールスホット)を選ばれました。ベルギーでの生活は新型コロナウイルス禍とも重なりましたが、異国での生活で苦労したことはありましたか?

鈴木氏:本当に苦労しましたね。ベルギーって、天気が良くない日が多いんですよ、1日中快晴の日があまりなくて、それにチームの結果がよくなかったり、自分のパフォーマンスが出せなかったりしたことも重なり、「鬱(うつ)」のような状況が続きました。心が整っていないと、身体にダイレクトに影響するということを痛烈に感じました。サッカーを辞めることさえ考えて、夜な夜なスマホで「転職サイト」を見ていました。IT業界に行って、パソコンを使えるサラリーマンになりたいと思うぐらい切実でした。

 そんな絶望的な状況を、一緒にベルギーに来てくれていた妻が救ってくれました。あまりにもきつそうにしている僕を見て、「そんなにきついなら、サッカー辞めたらいいんじゃない?」と言われて…。そうやって逃げ道を作ってもらえると、逆に僕の天邪鬼(あまのじゃく)的な一面が出てきちゃって(笑)。「俺、やっぱり頑張るわ」と、また前を向くことができたんです。妻のあの一言がなかったら、今頃違う仕事をしていたかもしれないですね。後から「うつ病のチェックシート」を見る機会があったのですが、当時の症状が驚くほど全部当てはまっていたので、本当に心が病んでしまっていたんだなと思います。

――その後、2022年にG大阪への移籍が決まり、日本へ帰国します。心身の状態はすぐに回復へと向かったのですか?

鈴木氏:徐々にではありましたが、だいぶ回復しました。ベルギーの時の自分のパフォーマンスは、いい時を100としたら、本当に半分以下というか50もないくらいの感覚でした。あのしんどさから解放されて、G大阪、そしてその後の札幌、横浜FCを経て、自分の良いときのパフォーマンスに戻していくことができました。

――海外を含む多くのクラブを渡り歩いてきた経験は、今の鈴木さんにどう生きていますか?

鈴木氏:どこに行っても楽しめるタフさが身につきました。妻もこどもも、移籍で引っ越しを繰り返して、いろんな環境下に身を置いてやってきたので、多少のことには動じなくなり、何が起きても「必ず最後は良くなる」ということを経験してきました。苦しいことも、「神様が自分に与えてくれた試練だ」と切り替えて行動できるようになりました。こどもは11歳、9歳、5歳になりましたが、サッカーはやっていなくて、最近はミニ四駆にハマっています(笑)。

「10年後にはJ1の常勝軍団へ」栃木シティの未来と第2の夢

――2026年シーズンから栃木シティに移籍しました。現在のチームをどう分析されていますか?

鈴木氏:栃木シティは将来的にビッグクラブになり得るチームだと本気で思っています。それだけのポテンシャルは絶対にあります。現に関東1部からJFL、そしてJ3とトントン拍子で昇格しています。10年後にはJ1で常勝軍団と言われるようなクラブになれるポテンシャルを秘めているんです。サポーターも優しくて熱い方々がたくさんいるので、鹿島や浦和みたいに、毎試合何万人がスタジアムへ応援に来るようなチームになってほしいなというのが願いです。

――サッカー以外の活動として、2020年、北海道にNPO法人「Hokkaido Dream」を設立しました。立ち上げのきっかけは何だったのですか?

鈴木氏:サッカーを通して子どもたちを幸せにしたいなという思いが原点です。いつもサポーターの方に応援してもらったり、いろんな人に支えられたりしてプロ生活を送ってきた中で、少しでも地域へ返せるものがあったらなと思って立ち上げました。サッカー教室をやったり、児童養護施設の子どもたちと触れ合ったり、試合に招待して一緒に参加するという活動をしています。コロナ禍の時は食料廃棄をなくすため、在庫が余って困っていた農家さんの商品を買い取って、安く消費者の皆さんに提供する「フードレスキュー」の活動もやっていました。僕にとって札幌は「第二の故郷」なので、北海道のために何か貢献できればなという思いが強くありました。

――プロサッカー選手とNPO法人の代表理事という二足のわらじを履くのは大変だと思いますが、やりがいは大きいですか?

鈴木氏:本当に大きいです。単純に、こどもが本当に好きなんですよね。こどもたちと触れ合っている時が、自分自身すごく楽しいんです。実は中学校の時まで、将来の夢が「保育士」でした。だから今、こういう形でこどもたちに関われていることに、やりがいを感じています。

――今後のセカンドキャリアも含めた将来の夢を教えてください。

鈴木氏:今、僕のひそかな目標は、引退した後に保育園の園長先生になることなんです。保育士の資格を今から取るのは難しいかもしれないですけど、園長先生として幼稚園や保育園を経営したり、あるいは自分の大好きなカフェの経営に挑戦したり、今まで経験したことない新しいことにどんどんチャレンジしていこうかなと思っています。もちろん、最近はサッカーを教えることの楽しさも分かってきたので、指導者として、サッカー界でトップを目指すというのも楽しそうだなと思っています。

「人生が一瞬でひっくり返った」誰がいつどこで見ているか分からない

――プレーヤーとしては何歳まで現役を続けたいですか。

鈴木氏:2012年にプロとなり、今年で15年目なのですが、20年やりたいという目標を持っています。20年現役をまっとうして、五輪もA代表も経験したとなれば、自分がおじいちゃんになった時に、孫に向かって「おじいちゃんは昔20年もプロをやっていて、日本代表にも入って世界と戦ったんだぞ」って、自慢できるじゃないですか(笑)。そのために、今は1年でも長く走り続けるための準備をしています。

――ご自身にとって人生の転機・分岐点を1つ挙げるとしたらどこになりますか。

鈴木氏:16歳の時にU-16日本代表に入った瞬間ですね。当時、高校2年時の試合を、U-16日本代表の監督が見にきていたんです。その監督は別のピッチでプレーしていた注目選手の視察に来ていたのですが。僕がその反対側のピッチで行われていた試合で、たまたま大活躍をしたんです。その監督の目に僕のプレーが留まって、初めて代表に呼ばれました。もしあの瞬間、監督が僕のいるピッチの方を向いていなかったら、今の自分はありません。本当に、人生が一瞬でひっくり返った運命の分岐点でした。

――最後に、これから自分の人生で「転機」を掴み取ろうとしている若い後輩たちや読者に向けてメッセージをお願いします。

鈴木氏:僕がこれまでの人生を歩んできて本当に思うのは、「どんな状況であっても、どんな場面であっても、自分の持てるベストを尽くせ」ということです。いつ、どこで、誰が自分のプレーや仕事ぶりを見ているか、本当に分かりません。あと、相手がどんなに立場のある偉い人であろうが、そうでなかろうが、関わるすべての人に対して平等に、誠実にリスペクトを持って接してほしいということです。その誠実な姿勢を積み重ね、人の道に外れないまっすぐな行動が、巡り巡って自分の人生に決定的なチャンスや、素晴らしい出会いという「最高の転機」をもたらしてくれると、僕は本気で信じています。

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