プロバスケにスクール運営、インフルエンサー事業も手がけるマルチぶり。
佐藤マクファーレン優樹が紆余曲折の末にたどり着いたプロ哲学。
「自らのスタンダードを高め続ける」研ぎ澄まされた思考法とは。

国内最高峰のプロバスケットボールリーグを経て、現在は3人制バスケ「3×3(スリー・エックス・スリー)」の国内トップリーグを舞台に戦い続ける佐藤マクファーレン優樹(さとう・まくふぁーれん・ゆうき)氏。男性モデルとして「ミスター・ワールド」日本代表に選出され、恋愛リアリティー番組への参加でも脚光を浴びるなど、一見華やかなキャリアの裏で、幾度となく逆境と戦ってきました。

若手時代のチーム経営破綻や選手生命の関わる大怪我を幾度も、そして「バスケ選手ならバスケだけしていろ」という旧態依然とした業界の偏見。それらすべてを「自分の見せ方を磨き、価値を高める糧」へと変換してきました。現在、東京・赤坂でのスクール運営やインフルエンサー事業を手がけるなど、前代未聞のマルチなアスリート像に挑んでいます。

その根底には、徹底して細部にこだわり、自らの基準を引き上げ続けるストイックなプロ哲学があります。常に挑戦者であり続ける佐藤氏の、研ぎ澄まされた思考と生存戦略に迫ります。(内田勝治=ライター) 

スクール運営、インフルエンサー事業も…マルチなアスリート像に挑む

——まずは現在の具体的な活動内容について教えてください。

佐藤マクファーレン優樹氏(以下、佐藤氏):メインは3人制バスケ「3×3」のプロ選手としての活動です。今年からまた復帰しまして、2つのプロリーグに参戦しています。1つは新宿歌舞伎町などで試合を行う、新たなプロリーグ「RBL」。もう1つは以前からある「3×3.EXE PREMIER」です。国内を回りながら転々と試合をこなしています。

 プレー以外では、赤坂で子ども向けのバスケットボールスクール運営に携わっています。また、インフルエンサーとして様々な企業様とのタイアップ事業を行っています。

——5人制で活躍された後、3人制へ軸足を移されました。その背景にはどのような心境の変化があったのでしょうか?

佐藤氏:5人制のBリーグでプレーしていた頃、新型コロナウイルス禍の直前にオーストラリア2部リーグのキャンプに招待されていたのですが、パンデミックの影響でなくなってしまったんです。その時に出合ったのが3×3でした。

 3×3は5人制に比べて選手個人の自由度が高く、自分のやりたいプレースタイルや活動に非常にフィットしたんです。Bリーグだとヘッドコーチの戦術や好みによってプレータイムが大きく左右される上、シーズン中の拘束が非常に厳しく、他のメディア活動や事業が制限されてしまう側面がありました。3×3は試合展開が速く、出場機会や試合数も多い。何より自分の足で道を切り拓いていける感覚が強く、転換を決意しました。

幼少期に過ごしたシンガポールでバスケに目覚めた

——幼少期の生い立ちや、バスケットボールを始めたきっかけについて教えてください。

佐藤氏:14歳までシンガポールで育ちました。元々スポーツ一家で、最初は柔道と水泳をやっていました。シンガポールでは日本以上にNBAの放送が盛んで、周囲の友人がみんな夢中になって見ていて、「なんて面白いスポーツなんだ」と魅了されました。

 バスケットボールの良いところは、ボールが1つとリングさえあれば、1人でも公園で夜遅くまで自主練習ができる点です。柔道のように道場へ行かなくても、自分でいくらでも鍛えられる。小学生の頃は、夜遅くまで公園で黙々とシュートを打ち続ける時間が本当に楽しかったですね。

 ちなみに柔道で学んだ「礼儀作法」や「相手を敬う姿勢」は、今子どもたちを指導する上でも一番大きな土台になっています。

——中学2年の終わりに日本へ。高等専門学校(高専)に進学された後、大分の明豊高校へ転校されています。高専から強豪高校へ転校するというのは珍しいキャリアですね。

佐藤氏:母からは、「これからの時代、技術やITの知識を身につけておけば食いっぱぐれない」と勧められ、高専に進みました。シンガポールは教育のIT化が進んでいて、小学生のうちからエクセルやパワーポイントを使うような環境でしたから、母の考えも先進的だったのだと思います。

 ただ、高専のバスケ部はサークルのような雰囲気で、指導者もおらず、私が求めているレベルではありませんでした。「もっと高いレベルで真剣にバスケがしたい」と親にダダをこねて、たまたま知人が繋がりのあった大分の明豊高校に転校させてもらったんです。

 もちろん、親からは強い条件を出されました。「高専の間に高校範囲の勉学は終わらせているのだから、大学受験でもしっかり結果を出すこと」。それを約束して転校しました。

——高校在学中から、bjリーグ「大分ヒートデビルズ」の練習生になられたそうですね。

佐藤氏:明豊での部活と並行してトライアウトを受け、練習生として受けてもらいました。朝一番に高校へ行って朝礼に出た後、公欠扱いでプロの練習に参加し、夕方学校に戻って課題をやり、夜はまた自主トレをするという超多忙な日々でした。

 ただ、10代でトップレベルのプロの練習環境を肌で体感できたことは、自分にとって大きな財産になりました。

日本の大学バスケに感じた違和感「ここに4年間いる意味はない」

——大学を半年で中退し、つくばや東京サンレーヴス(現・品川シティ)などプロの世界に飛び込みましたが、当時の日本のバスケットボール界はまだ過渡期でした。

佐藤氏:本当にそうですね。当時はBリーグもなく、bjリーグが立ち上がったばかりで、プロ選手として生活するというのはなかなか想像できない時代でした。明豊を卒業後に九州東海大学へ進学したのですが、一度プロの練習や意識の高さを知ってしまうと、昔ながらの大学バスケの体制に強い違和感を覚えてしまいました。「ここに4年間いる意味はない」と感じ、半年で退学して東京に戻りました。もちろん母には激怒されました。親との約束通り、偏差値が70ほどある大学に受かっていたのですが、それを蹴ってスポーツ推薦をいただいた九州東海大に進んでいたんです。その大学も途中で辞めるとなると、それは怒りますよね(笑)。

 その後、東京サンレーヴス(現しながわシティ)やつくばロボッツ(現茨城ロボッツ)と契約してプレーしましたが、当時のバスケ界は波乱万丈でした。つくば時代には、クラブの経営が破綻し、リーグの救済が入るという前代未聞の事態も経験しました。夜間は警備のバイトをして寝ずに練習や試合に向かうような、過過酷な時期もありました。

——2015年頃、一度バスケットボールから1年ほど離れ、モデルやタレント活動に踏み出されています。どのような狙いがあったのでしょうか?

佐藤氏:当時のバスケ界は、まだ選手がメディアに出てセルフブランディングをするという意識が希薄でした。「アスリートとして夢を与える存在であるべきなのに、夢がない世界に見えてしまう」という強い危機感があったんです。もっと自分の見せ方を学び、価値を高めなければいけない。そう考えて、あえて1年間バスケから離れ、芸能やモデルの世界に飛び込みました。

 2016年には「ミスター・ワールド」の日本代表に選ばれ、スポーツ部門ではアジア系出場者としては過去最高の6位に入ることができました。朝の報道番組で取材を受けたり、発信力を高めたりした上で、Bリーグが誕生するタイミングで古巣の東京サンレーヴスに戻りました。

 しかし、アシスタントコーチからは、「バスケ選手ならバスケだけしてろ」「お前みたいな浮ついたやつは認めない」という旧態依然とした批判やバッシングを浴びました。ただ、あの1年間で自分の軸が定まり、客観的に自分をプロデュースする視点を得られたからです。

——さらに2017年には、生命に関わるような大きな怪我も経験されたと伺いました。

佐藤氏:オフシーズンにストリートバスケの試合中、激しい接触で空中から頭から落ちてしまい、腰椎のL2からL5までの横突起を折る重傷を負いました。緊急で運ばれた病院では「もう走れない」と宣告されて、転院。転院先で検査中、急に立ちくらみが発生し、セカンドオピニオンを大学病院でいただいたところ、低随圧の疑いがあると診断されました。

 幸いなことに、優秀なドクター陣に恵まれ、「ブラッドパッチ」(編集部注:髄液が漏れている付近に、採取した自分の血液20~30CCを腰や背中、首から注入して「かさぶた」をつくり、漏れている穴を閉じる治療法)という治療を受けて奇跡的に復帰できましたが、当時は「もう一生治らないかもしれない」と言われました。今でもL3のみが離解したままなので、後遺症として腸腰筋が硬くなり、右半身の柔軟性に左右差が出たりしますが、今コートに立っていられること自体が奇跡であり、感謝しかありません。

30代を迎えて進化する肉体「人生で一番のコンディション」

——メディアでの発信と、アスリートとしての本業のバランスについてどう整理されていますか?

佐藤氏:番組や各種メディアに出たことで、これまでバスケに触れてこなかった新しい層の方々が試合を観に来てくださるようになりました。業界への貢献という意味では大きな意味があったと思っています。

 一時期、色んなお仕事の話がある中で、気づいたら本業から離れてブレてしまってました。しかし、ここ最近様々な出来事で「自分の本質はスポーツであり、プレーヤーとして戦い続けることだ」とハッと気づかされたんです。

  モデルやタレント活動はオファーがあった確度の高いものに絞り、今は100%「アスリートとしての身体作りとパフォーマンス向上」にエネルギーを注いでいます。

——30代を迎えた現在、パフォーマンスやコンディションの維持において意識していることは何でしょうか?

佐藤氏:年齢を重ねて肉体が衰えるどころか、今が人生で一番コンディションが良いです。ジャンプ力こそ膝の手術の影響で多少落ちましたが、バスケットボールにおける「IQ(理解度)」と「言語化能力」は若い頃と比べものにならないほど高まっています。

 コンディション維持の秘訣を聞かれると、みんな「特別なトレーニング」を期待されるのですが、結局は「睡眠・食事・ケア」という当たり前のことを誰よりも愚直に継続することに行き着きます。チャットGPTを使って毎日の消費カロリーと摂取カロリーのログを残し、緻密に体調を管理しています。ケガをしないための予防、リカバリーの徹底。当たり前の基準をどれだけ高く保てるかがすべてです。

——最後に、これから自分の道を切り拓こうとしている若い世代や読者へ向けて、メッセージをお願いします。

佐藤:海外のトップアスリートの間でよく使われる言葉なのですが、私には大切にしている思考法があります。「人間は、高い目標に向かって這い上がるのではない。最終的に自らの『スタンダード(基準)』の高さまで落ちていく」という考え方です。

 「こうなりたい」という一瞬の目標や願望だけでは、人間は継続できません。怠惰な方へ流されてしまう。しかし、「これが自分の最低限の基準だ」というレベルを高く設定しておけば、どんな事態に直面してもその基準より下に落ちることはないんです。

 練習の妥協点、細部(ディテール)へのこだわり、食事や睡眠管理、他人への接し方。そのすべての「自分の当たり前」をトップレベルに引き上げること。限界を自分で決めず、自らのスタンダードを高め続けることさえできれば、人生のどんな逆境も必ず乗り越えていけると確信しています。

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