撮影とは相手が築き上げた「城」を崩し、その奥にある生身の人間を引っ張り出す「格闘」。
写真、執筆、タレントと境界を超え続け、84歳となった今もデジタルの極限やAI表現に挑む。
その情熱の源泉は父との思想的対話にあった。
1960年代、ニューヨークで草間彌生氏らと「タブー」を破壊し、一躍時代の寵児となった写真家・加納典明(かのう・てんめい)氏。その活動は写真の枠を超え、執筆やタレント活動、雑誌の創刊など、常に既存の境界線を踏み越え続けてきました。
加納氏の表現の根底にあるのは、徹底した「感性」へのこだわりです。AI(人工知能)が日常に浸透する現代において、私たちは何を感じ、どう生きるべきなのか。今回、84歳を迎えた加納氏に、原点である父・豊明さんとの対話から、伝説的な撮影現場の裏側、そして現代日本への違和感までを赤裸々に語っていただきました。
「自分を生き切れ」
その言葉には、戦後の混乱期から現在までを「具体」を持って駆け抜けてきた表現者の凄みが宿っています。効率や正解を求めがちな現代人の胸に、そのダイナミズムは鋭く突き刺さるはずです。写真界の異端児が、死ぬまで追い求める「究極」の形とは何なのか。その精神の深層に迫ります。(内田 勝治=ライター)
父から受け継いだ「表現のブレーキ」
――加納さんといえば、その過激で型破りな作風が印象的ですが、そもそも写真という表現に興味を持たれたきっかけは何だったのでしょうか。
加納典明氏(以下、加納氏): やっぱり親父の影響だね。親父は図案家というか、今でいうグラフィックデザイナーだったんだけど、東京美術学校、今の東京藝術大学の前身を出てね。もともとは長野出身で、東京に出てきた学生時代はコミュニズムというか、左翼活動にのめり込んでいた。思想的にかなり勉強した人だったんだよ。
親父は名古屋に移ってから図案の仕事を始めたんだけど、仕事場には印刷屋や新聞社の担当者がひっきりなしに訪れてね。デザインの打ち合わせをしているうちに、いつの間にか思想の話になったりするわけ。親父の話すことは筋が通っていたし、独自の味わい深い考え方を持っていた。画家になりたかった人だから、基礎がしっかりしているんだよ。親父が描いたデッサンが残っていたけど、死んだ鳥とか果物とか、その描写力は凄まじいものがあった。俺が中学、高校の頃には、親父と社会問題や「人間とはなんぞや」という話を随分と交わしたよ。そんな親は、周りの友達には一人もいなかったね。
――加納さんの表現に宿る、権力への冷ややかな視線や、対象の核心を突く鋭さは、この父との対話によって磨かれたのでしょうか?
加納氏: そうだね。俺は性格的には右翼的な人間なんだけど、考えの底辺には親父から植え付けられた「左」の判断基準が備わっている。それが、俺がぶっ飛ぼうとする時のブレーキというか、もう一つの視点として機能しているんだ。親父は兵隊にも行かなかった人なんだよ。思想的に危険だと思われて、軍も採用しなかったんじゃないかな。そんな親の背中を見ながら、写真という「身体感覚」の面白さにのめり込んでいったんだ。
ニューヨークの衝撃と「FUCK」の狂乱
――高校卒業後、プロとしてのキャリアをスタートされますが、師事された方はいたのでしょうか?
加納氏: 名古屋で小川藤一さんのところに行って、商業写真の基礎を体に染み込ませたんだ。それから東京に出て、杵島隆さんの門を叩いた。杵島さんは当時、秋山庄太郎さんや大竹省二さんと並び称される一流のカメラマンだった。そこには助手が5、6人いたけど、先生がやらないような細かい物撮りの仕事なんかを俺が全部引き受けて撮るようになった。要するに、俺が一番うまかったんだよ(笑)。そのうち、給料をもっと上げてくれって直談判して、ダメだと言われたから即座に辞めた。それから仕事の当てもないのにフリーになったんだ。
大きな転機を迎えたのは、やはりニューヨークでの経験だね。「平凡パンチ」(平凡出版、現マガジンハウス)の取材でニューヨークへ行ったんだけど、当時の編集長の木滑(きなめり)良久さんが「好きに撮っていいぞ。紙面構成はこっちでやるから、まず枠を外せ」と言ってくれた。それまでの俺は、どこかで自制していたんだ。「こんなのを撮ったらやばいんじゃないか」って。でもその一言で吹っ切れたね。やっぱり表現の自由というか、自分の不自由さをわざわざ作っていた“くだらなさ”に気づかされた。
――そこで草間彌生さんとも出会われた。
加納氏: 石川次郎さんに紹介されてね。ニューヨークで彼女がセントラルパークなどで裸のパフォーマンスを繰り広げ、アート界を騒がせていた頃だ。彼女に会いに行ったら、「加納さん、今日一日あなたのためにパフォーマンスしますよ」と言われてね。ついて行ったら、始まったのが乱交パーティー。正直、「これ、撮れるのかよ」とたじろいだ。でも同時に、表現者としての欲が湧いてきた。当時、ベトナム戦争で使われていた赤外線フィルムを転用して、フィルターをかけて撮ったんだ。そうすると、白人の裸体がロウのように白く映り、唇が黄色く発色する。不気味で美しい、見たこともない世界が写っていた。
――帰国後、加納さんはその写真を『FUCK』という刺激的なタイトルで発表されました。
加納氏: タイトルを『FUCK』にするなんて、当時はあり得なかった。周りは止めたけど、俺は「いいからやれ」と押し通した。1969年の暮れ、日本橋のギャラリーにはあらゆるニュースメディア、新聞社が殺到してね。次の日にはテレビもラジオも映画も、全部俺のところに話が来た。あれが、俺という人間のページをめくった最初のパフォーマンスだったんだ。
タイトル:「FUCK」 1969年にニューヨークで撮影された写真作品。雑誌のニューヨーク特集の取材・撮影のため渡米した際、草間彌生氏のスタジオで彼女のパフォーマーたちを撮影したものである。女性の唇が黄色く見えるのは、赤外線フィルムを使用したことによる効果である。
山口百恵が見せなかった「心の揺らぎ」
――加納さんの前には、石原慎太郎さん、勝新太郎さん、山口百恵さんら、昭和を彩る巨人たちが被写体として並びました。加納さんにとって撮影とはどのような行為だったのでしょうか?
加納氏: それは、相手が築き上げた「城」を崩し、その奥にある生身の人間を引っ張り出す「格闘」だよ。例えば勝新太郎。座頭市の格好で来た彼を撮りながら、俺はわざと「いいよ勝さん、最高だよ。女の子撮るより勝負できるね」とおだてたり煽ったりする。そうすると彼がクックックッと笑い出すんだ。そうなれば俺の勝ちだよ。石原慎太郎にしてもそう。彼は彼なりの城を持っていて、それを誇示したい人だけど、俺が撮りたいのはその城じゃない。城を崩して、中にある人間をどう引き出すか。そのために、相手のどこのキーを突けばいいか、瞬時に言葉が湧いてくるんだ。それは俺の中に、文学的な素地があったからかもしれない。
そんな中でも山口百恵は特別だった。彼女が絶頂の時、沖縄で2日間撮影したんだ。1日は篠山紀信、1日は俺。彼女はね、立つだけで不思議な香りがするんだよ。部屋全体に彼女の空気が満ちる。撮影していても、彼女は自分をさらけ出さない。揺らぎを見せないんだよ。それが意識的なのか無意識なのか分からないけど、圧倒的な才能だったね。俺も惚れながら撮っていたよ。
――加納氏が考える「美しさ」とは、どこに宿るのでしょうか?
加納氏: 自意識を超えた瞬間に宿るものだね。最高にエロティックな瞬間というのは、自意識が消えた顔だよ。セックスの絶頂の時、人間は自分をコントロールできない顔になる。その世界観は一言では言い表せない。スタジオでも、いかにその空気に持っていくか。トークで、光で、どうやって相手をその気にさせるか。相手を感じる力、つまり「感性力」こそが、人間の持っている最高の能力なんだ。
人間には地球そのものを作り変えるくらいの能力があるはず
――今年2月で84歳を迎えました。今の日本社会をどのように見ていますか?
加納氏: みんな一方通行で生きていて、ダイナミズムがなさすぎるね。鎖国していた頃の根性のままだよ。誰かが右を向いたらみんな右を向く。そんなの面白くないだろう。俺は俺、私は私。もっと自分の「具体」を知るべきなんだ。今の教育は社会に合わせる勉強ばかり教えているけど、もっと自分自身の「踊り方」を勉強しなきゃダメだ。
俺は今、デジタルで何ができるかを探している。写真をベースにしてキャンバスにプリントし、その上からアクリル絵具で色を重ねていく。画家を目指しているわけじゃなくて、デジタルの極限を見たいんだ。AI(人工知能)も使っているよ。AIはまだ正直すぎるけど、そこから新しい表現が生まれる可能性は十分にある。写真が終わりだなんて言っている奴もいるけど、俺はそう思わない。ここから立体のものが生まれるかもしれないし、あり得ないことを現実にできるかもしれない。テクノロジーに興味津々だよ。
――AIなどの進化に対しても非常にポジティブですね。
加納氏: AIに夢があればいい。いい嘘をついてくれればいい。人間だって、たかだか100年の生命だ。だったら、どれだけダイナミックに生きられるか、自分との競争だよ。アメリカやロシアが戦争しているなんて、古臭くて見ていられない。いつまで古代人みたいなことをやってるんだと言いたいね。人間はもっと、地球そのものを作り変えるくらいの能力があるはずなんだ。ロボットとセックスしたっていい。そんなあり得ないことを考え続けたいんだ。
写真なんてそもそも全部嘘なんだよ。一瞬を切り取って、それを四角い枠に閉じ込める。その時点で現実じゃないんだ。でも、その嘘の中にどれだけ「真実味」や「ダイナミズム」を込められるかが勝負なんだよ。AIが生成する画像も、今はまだどこか整いすぎている。人間が介入して、もっとグチャグチャに崩して、そこに「肉体の温度」を乗せないと。俺が今やっているキャンバスへのプリントとペインティングも、デジタルの冷たさに俺自身の「具体」をぶつける作業なんだ。
「自分を生き切れ」 人間の心は無限であることを忘れるな
――効率や正確さが求められる現代において、その「崩す」作業は逆行しているようにも思えます。
加納氏: 逆行して何が悪い。今はみんな、傷つかないように、間違えないように生きすぎている。失敗してもいい、恥をかいてもいい。そこからしか新しいエネルギーは生まれない。俺が雑誌を創刊したり、小説を書いたり、タレント活動をしたりしてきたのも、全部「加納典明」という存在をどう動かせば面白い火花が散るかを試していただけなんだ。人生は実験場だよ。安全な場所にいて、モニターばかり眺めていて何が楽しいんだ。
――その圧倒的な活動量の根底にあるのは、やはり「死」への意識でしょうか?
加納氏: それはあるね。84歳なんて、いつお迎えが来てもおかしくない。だからこそ、今この瞬間に何を感じ、何を形にするかに執着する。昔撮った傑作を自慢する暇があったら、今の俺にしかできない「究極の嘘」を形にしたい。それが俺の生命力そのものなんだ。
――加納さんが今の若い世代に贈る言葉は何でしょうか?
加納氏: 「自分を生き切れ」。これに尽きるね。半端にするなと。年を取れば取るほど、時間が惜しくなってくる。俺だって今、この先の舞台を探している真っ最中なんだ。人間は無限だよ。芸術は有限かもしれないけど、人間のハート、心というのは無限なんだ。それを忘れるなと言いたい。
――「具体的に生きて、具体的なものを産んでいけ」というメッセージですね。
加納氏: そうだね。俺は体験主義者だから。中途半端に理屈で避けたり、偉そうに案内したりはしない。現場に行って、そこと関わる。そこで俺がどういう「具体」を落とすか。それが写真であり、絵であり、言葉なんだ。84歳になっても、まだ俺は「これから撮る写真」が一番だと思っているよ。過去のやつなんてどうでもいい。心の奥底にある生命や宇宙を、人間を通してコントロールして、新しい何かを作りたいんだ。
――その飽くなき情熱の源泉は、やはりお父様にあるのですね。
加納氏: 結局、俺の精神を作った元の先生は親父だね。単なる行儀作法じゃなく、生き方の根源を教えてくれた。お袋からは根性の強さをもらった。いいバランスだったよ。俺は死ぬまで究極を見つけたい。それが俺の生きる「具体」なんだ。