大物たちとの死闘で格闘技ファンに鮮烈な記憶を残した元総合格闘家の大山峻護氏。
「リアル・ウルトラマン」を夢見たあの日から始まった波瀾万丈な人生。
すべての経験を「心の筋肉」に。難病宣告を受けてもなお、変わらず闘い続ける。

かつて、PRIDEやHERO’Sといった総合格闘技のリングで、ヴァンダレイ・シウバやミルコ・クロコップ、グレイシー一族ら、「人類最強」と謳われた怪物たちに、真っ向勝負を挑んだ日本人がいます。大山峻護(おおやま・しゅんご)氏は5歳から柔道を始め、名門・講道学舎※での過酷な稽古を経て実業団王者へと登り詰めます。しかし、柔道家としての栄光をかなぐり捨て、2001年からプロ格闘家に転向。網膜剥離、骨折、脱臼、靭帯断裂など、幾多の大ケガに見舞われながらも、不屈の精神ではい上がってきました。

2014年に現役引退後、激闘の代償として両膝の人工関節手術を受けた大山氏を、さらなる試練が襲います。2025年、国指定の難病「トランスサイレチン型心アミロイドーシス」の宣告。くしくも、尊敬するアントニオ猪木さんが晩年に闘った病と同じ系統の疾患と向き合う日々を過ごしています。

しかし、大山氏の瞳に絶望の色はありません。難病をきっかけに絵を描き始め、アーティストとして新たな命の「線」を描き始めています。人見知りに悩んだ「弱虫少年」が桜庭和志氏に憧れ、「リアル・ウルトラマン」を夢見たあの日から、難病さえも「人生のギフト」と捉えるに至った現在まで。座右の銘「ALL INTO POWER(すべてを力に)」を体現し続ける大山氏の、苦難を希望へと反転させる魂の哲学に迫ります。

※日本全国から将来有望な柔道の「中学1年から高校3年の金の卵」が入門するエリート養成私塾。2015年に閉塾。

「弱虫少年」を救ったウルトラマンへの憧憬「自分も強くなりたい」

――5歳から柔道を始められ、社会人時代には実業団で日本一にも輝いています。格闘の道を志した原点はどこにあったのでしょうか?

大山峻護氏(以下、大山氏):実は、僕はものすごい弱虫だったんです。幼稚園の年長くらいまで、母がいないと外に出られないような子で、友達もあまりいませんでした。ちょうど僕らの時代って、ウルトラマンや仮面ライダーといったヒーローものの番組が全盛の頃。特に僕はウルトラマンに衝撃を受けたんです。母に「自分もあんな風に強くなりたい」と言ったら、近所の柔道教室に通わせてくれました。

 中学2年から入った講道学舎で最初、こてんぱんにやられました(笑)。でも、そこで「1ミリずつ強くなっていく」という体験ができたことが大きかった。ケガも多くて、二歩進んで一歩下がるどころか、三歩も四歩も下がってしまうような時期もありましたが、それでも諦めることなく、練習をし続けると扉が開いていくという体験を学べたことは、僕のマインドの核となっています。

――街道を歩んできた柔道家から、未知の総合格闘技へと転向されたきっかけを教えてください。

大山氏:2000年5月1日に東京ドームで行われた「PRIDE GRANDPRIX 2000決勝戦」で、桜庭和志さんとホイス・グレイシーの戦いを観客として見ていました。90分間に及ぶ死闘の末、「勝者、桜庭和志!」とコールされた時、ドーム全体が「ドン!」って揺れた感じがしたんです。僕の中で桜庭さんがウルトラマンと完全にオーバーラップしました。僕の中では「リアル・ウルトラマン」だったんです。「俺は絶対、あのリングに上がる」。一番後ろの安い席から、豆粒のようなリングを凝視しながら決意しました。

 そこからは毎日、江戸川の河川敷を走りながら、自分がPRIDEのリングで戦い、喝采を浴びる姿を脳内でイメージし続けました。その後、偶然通っていたジムでPRIDEの関係者と出会い、米国でのデビュー戦が決まりました。僕がいた実業団の京葉ガス(千葉県市川市)はガス会社なので、柔道を引退した後も安泰です。ただ、このまま会社にいたら、僕は子供の頃から描いていたウルトラマンにはなれないと思うと、怖くなったんです。悩みに悩んだのですが、最終的にはワクワクする方を選びました。

――米国での総合格闘技デビュー戦では体重が30キロ以上も重い相手を17秒でKO。その後、念願のPRIDE参戦を果たしました。強敵との戦いに恐怖心はなかったのでしょうか?

大山氏:めちゃくちゃありました。試合当日は何度もトイレに行くくらい怖がりです。でも僕は、恐怖心も大切なエネルギーだと思うんですよね。怖がることで、極限の覚悟と集中力が生まれる。2026年ミラノ・コルティナ五輪でフィギュアスケートの坂本花織さんが震えながら戦う姿を見た時も、その繊細さこそが強さの源だと確信しました。弱さを知っているからこそ、強さにたどり着けるんです。

――その過酷な戦いの中で、大山さんを支え続けた「転機の人」は?

大山氏:僕に初めて打撃を教えてくれた師匠の手塚高弘さんです。手塚さんは僕がどんな状況でも「大山くんは強いから、絶対大丈夫だ」と、100%信じてくれました。自腹を切って米国までセコンドに来てくれたり、引退試合まで寄り添ってくれたり。自分以上に自分の可能性を信じてくれる存在がいたからこそ、僕は自分を信じることができました。身近な誰かが100%信じてくれるという幸せ。これが僕の運の強さの正体です。

腕を折られても心は折れず…記憶に残るハイアン・グレイシー戦

――現役生活の中で、最も記憶に残っている試合を教えてください。

大山氏:2002年、ハイアン・グレイシーとの一戦です。一族の血を背負った彼の殺気は凄まじかった。結果、右腕を折られて負けてしまったのですが、僕は最後までタップ(降参)しませんでした。 その姿を見て、ファンの皆さんが「負けたけれど、心は折れていない」と認めてくれた。勝った試合以上に、この敗戦が僕の財産になりました。網膜剥離や骨折で何度も戦線を離れましたが、その度に脳内で「復活して喜ぶ自分」を描き、それを成功体験の記憶として脳に刷り込んできました。想像の力は、意志の力の何十倍ものエネルギーになるんです。

――格闘技を引退された後、キャリアの構築に苦労はありましたか?

大山氏:ものすごく苦労しました。アスリートには引退後の選択肢がほとんどないんです。相撲ならちゃんこ屋、格闘技なら道場。その現実に驚きました。でも、「社員がストレスで悩んでいる」という社会課題を知り、フィットネスと格闘技を融合した研修プログラム「ファイトネス」を立ち上げました。やったこともない営業を自分でやって、5年で100社以上の案件を取りました。

――一般社団法人の設立など、社会貢献活動にも力を注いでいらっしゃいますね。

大山氏:柔道界のレジェンドである山下泰裕先生の「アスリートの社会貢献は世界平和につながる」という言葉に魂を揺さぶられたのがきっかけです。ある時、足の不自由な子が「国立競技場を歩きたい」と夢を語ってくれました。それを聞いた大野均さん(元ラグビー日本代表)が動いてくれて、無人の国立競技場でその子と手を繋いで歩く夢を実現させたんです。アスリートには、誰かの心に火を灯す力がある。僕もそうありたいと思っています。

難病告知で「生存本能」に火…10カ月で400点以上を描き上げた

――アーティストとしての活動についても伺わせてください。きっかけは何だったのでしょうか?

大山氏:きっかけは2025年の初め、親友との飲み会で「ドラえもんを描こうぜ」という話になったんですよ。それが思いのほか面白くてSNSにアップしたら、多摩美術大学の西岡文彦教授から「才能がある」と仰っていただいたんです。

 その直後の同年4月に難病「トランスサイレチン型心アミロイドーシス」の告知を受けました。死を意識した瞬間、「元気なうちに何かを残さなければ」と、生存本能に火がつきました。格闘技で培った集中力を注ぎ込んだら、10カ月で400点以上の作品が生まれました。

――「トランスサイレチン型心アミロイドーシス」という難病。具体的にはどのような病なのでしょうか?

大山氏:血液中のタンパク質が変形して「アミロイド」という物質になり、それが心臓に沈着して機能を低下させてしまう病気です。以前から少し息苦しさや体調の異変を感じることがありました。検査入院を経て診断名を聞いた時は、「まさか僕が?」という驚きが大きかったです。「全身性アミロイドーシス」と闘われたアントニオ猪木さんの記事を読んでいたので、その病名は記憶の片隅にあったんです。

 ドラマの中にいるような不思議な感覚でした。完治させる薬はまだありません。進行を遅らせる薬を打ちながらの生活ですが、体調が急激に悪化して再入院したこともあります。

――格闘家として身体を極めてきた大山さんにとって、思うように動かない身体を受け入れるのは辛いことではありませんでしたか?

大山氏:最初は昔の自分と比べてしまって苦しかったですよ。でも、病気になったことで同じ痛みを持つ方々の存在を、これまで以上に「自分事」として感じられるようになりました。告知されてから、アートに没頭する時間がさらに増えました。一度描き始めると7、8時間没入してしまうんです。描きすぎて「もっとここを足そうかな」と筆を入れすぎてしまい、元の良い絵に戻れなくなった時なんて、病気を宣告された時より落ち込みました(笑)。

――病と向き合う中で、死生観や幸福の捉え方に変化はありましたか?

大山氏:以前の僕は目標達成ばかりを追いかけていました。でも、どこかで虚しさを感じる自分がいたのも事実です。おいしいカレーライスを食べながら、次に食べるステーキのことを考えているような状態だったんです。でも難病になり、告知を受けてから「幸福度は変わらない」という発見がありました。むしろ、今日生きていること、ご飯が美味しいこと、お風呂が気持ちいいこと…。これまでスルーしていた日常がスペシャルに感じられる。難病になったから不幸せなんじゃない。小さな幸せを強く噛みしめられるようになったんです。

――奥様の存在も大きな支えになっているのでしょうね。

大山氏:妻は僕を100%信頼してくれています。病気になっても一緒に落ち込むことはまずありません。「この人なら前向きに乗り越えるだろう」という確信を持って見守ってくれている。そのマインドが僕にも伝わって、元気でいられるんです。母、恩師の手塚さん、そして妻。身近な人が100%の信頼をくれることが、僕にとって最大の幸運なのかもしれません。

「ALL INTO POWER」――全ての経験は誰かを救う光になる

――最後に人生の転機や苦難に直面している方へメッセージをお願いします。

大山氏:全ての経験は未来へのギフトです。僕の座右の銘は「ALL INTO POWER(すべてを力に)」。人生というドラマは、波乱万丈だからこそ面白いんです。落ち込んでいるなら、「いいじゃん、ドラマチックだね」と面白がってほしい。もし僕の人生がずっと平和で何もない物語だったら、誰も見てくれないし、面白くないでしょう?

 過去のどんな辛い経験も、今の自分を支える「心の筋肉」になります。悪いことは悪いことじゃない。一歩引いて長い線で人生を見れば、必ずその先に想像を超えた未来が待っています。現役時代に「夢を形にする」生き方はやり遂げることができたと思っています。これからは「今という瞬間を丁寧に味わう」生き方をしていくつもりです。自分を信じて、突き進んでください。

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