14歳で世界の頂点に立ち日常が一変し、燃え尽き症候群へ。
あの伝説の名ゼリフから30余年。岩崎恭子氏が今、力を注ぐのは「命を守る」着衣泳の技術。
光と影を経験した彼女が「自分を大切に生きる」ことの尊さについて語った。
1992年バルセロナ五輪、競泳女子200メートル平泳ぎ。当時わずか14歳だった岩崎恭子氏が放った「今まで生きてきた中で、一番幸せです」という名ゼリフは、今もなお、多くの日本人の記憶に刻まれています。
しかし、無名の中学2年生が突如として手にした金メダルは、彼女の日常を激変させました。どこへ行っても追いかけられる過酷な視線、有名人として扱われるストレス、そして失われてしまった競技への情熱…。若くして世界の頂点に立ったからこそ味わった、出口のない葛藤の日々がありました。
岩崎氏は、いかにして自分を見つめ直し、1996年アトランタ五輪の舞台へと這い上がったのか。そこには、恩師から贈られた「素直さ」という言葉、そして娘の決断を常に尊重し続けたご両親の深い愛情がありました。
現在は一児の母として、また日本水泳連盟の理事として、服を着たまま泳ぐ「着衣泳(ちゃくいえい)」を通じた命の守り方を伝えている岩崎さん。光と影の両面を知り尽くした彼女がたどり着いた、「自分を大切にする」という真の強さ。30年以上の時を経て、等身大の言葉でその半生を語り尽くしてくれました。(内田 勝治=ライター)
水泳は「生存技術」命を守るための「着衣泳」普及活動
――岩崎さんは現在、水泳教室や講演活動など多方面でご活躍中です。ですが、特に「着衣泳」の普及に力を入れられているそうですね。
岩崎恭子氏(以下、岩崎氏): 着衣泳は単に「泳ぐ」ための技術ではなく、「命を守る」ための方法です。日本では毎年約800人近い方が水の事故で亡くなっています。悲しいことに、溺れている人を助けに行こうとして、大人の方が2次災害に遭ってしまうケースも非常に多い。もしもの時にパニックにならず、どうやって浮いて待つか、どう対処するか。水泳を「スポーツ」としてだけでなく、誰もが身につけるべき「生存技術」として広めていきたいと考えています。
講演活動はご依頼にもよりますが、やはり「モチベーションの保ち方」や「セカンドキャリア」についてのお話が多いですね。14歳で金メダルを取った後、どうやって次の目標を見つけたのか。あるいは、20歳で引退した後の人生をどう切り拓いてきたか。私自身の経験をベースに、企業の方や学校の子供たちに向けて、その時々に合わせた題材でお話しさせていただいています。
――岩崎さんが水泳を始めたきっかけを教えてください。
岩崎氏: 私は3姉妹の次女なのですが、姉も妹も水泳をやっていました。育ったのは静岡県沼津市で、海も山も川もある自然豊かな場所です。「水辺で溺れないように」という実利的な理由もありましたが、一番は両親の「健康に育ってほしい」という強い願いでした。 父が白血病を患っていたこともあり、「自分は長く生きられないかもしれない」という覚悟があったようです。だからこそ、子供たちには何があっても生きていける強い体、健康な体を作ってあげたい。その思いでスイミングスクールに通わせてくれました。
当時は日本にスイミングスクールが普及し始めた頃で、クラスの半数以上が通っていました。今はお子さんが少なくなっていることもありますが、当時は「とりあえず水泳教室」というくらい選択肢がシンプルでした。今は選択肢が多すぎて、逆に大変かもしれませんね(笑)。
私は泳ぐこと自体が大好きだったので、小学校低学年までは喜んでプールに通っていました。大会に出れば県の中で1、2番になれたので、静岡県内では「速いかも」と思っていました。でも、全国大会に行けば上には上がいます。小学校の頃にはすでに「世界は広いんだな」という現実も感じていました。
92年バルセロナ五輪で「ノーマークからの快挙」自己ベストを5秒近く更新
――1992年バルセロナ五輪での金メダルは「ノーマークからの快挙」という印象が強かったですが、ご自身の中ではどう捉えていましたか?
岩崎氏: 全くその通りで、私自身がメダル候補だと思ったことはありませんでした。当時の世界ランキングは14位。それが本番で、自己ベストを5秒近く更新してしまったんです。普通の記録競技で自己ベストを5秒縮めるなんてことは本来はあり得ないことです。 でも、10代の成長期に、自分にぴったりのトレーニングと筋力の発達が重なると、稀にそういう「爆発」が起きる。それがたまたま五輪という舞台でした。運命的なタイミングだったと思います。
――あの有名な「今まで生きてきた中で……」というフレーズが出た瞬間、どんな心境だったのでしょうか。
岩崎氏: 達成感というよりも、とにかく「驚き」の方が勝っていました。さすがに14歳でも金メダルの重みは理解できましたが、その後の人生がどうなってしまうのかまでは、想像も及んでいませんでした。心よりも先に、結果という事実が追い越していってしまった感覚です。
「有名になりたくなかった」心より先に結果が追い越した葛藤
――帰国後のフィーバーは凄まじいものでした。生活はどう変わりましたか?
岩崎氏: 正直に言えば、とても「生きづらく」なりました。日本中で知らない人がいないという状況になり、どこへ行っても見られ、追いかけられる。本来は活発な性格でしたが、自分の行動をセーブし、マスコミや周囲の視線から自分を守らなければならなくなりました。
私は「有名になりたい」と思って水泳をしていたわけではありません。スポーツ選手は活躍すると、なぜか「公人」として扱われ、プライバシーが守られなくなる。一般人なら隠されるようなことまで晒されるマスコミの仕組みに、当時はすごくストレスを感じていました。
ただ、両親は本当にしっかりしていたなと、今振り返っても感謝しかありません。娘が金メダリストになっても、親がおかしくなることは一切ありませんでした。3姉妹それぞれに平等に目をかけ、以前と変わらない日常を保とうとしてくれました。14歳の私を、いろんな雑音から親なりに必死に守ってくれていたんだと思います。
――五輪後の数年間は、記録が伸び悩む苦しい時期がありました。
岩崎氏: 「やる気」そのものがなくなってしまったんです。常に「金メダリスト」として見られ、試合会場に行けばもみくちゃにされ…。水泳を続ける意味が見いだせなくなっていました。でも、辞めるわけにもいきません。ただ毎日をやり過ごしていました。
復活のきっかけは、意外にも1994年のアジア大会の日本代表に落ちたことでした。代わりに選ばれた米国遠征で訪れたプールが、偶然にもバルセロナ五輪の前年に、私が初めて国際大会を経験した思い出の場所だったんです。
プールサイドに立った瞬間、中学1年生だった頃の「キラキラした気持ち」を思い出しました。あの時の私は、もっと純粋に水泳を楽しんでいたし、いろんなことを吸収したいと思っていました。周りの目ばかりを気にしていた自分に気づき、「こんなことのために水泳をやっているんじゃない」と腹が据わったんです。環境を変え、自分の意志でアトランタ五輪を目指そうと思えました。あの遠征がなければ、私の水泳人生はあそこで終わっていたかもしれません。
恩師から贈られた「素直さ」という教訓…20歳で悔いなき引退
――水泳人生で最も影響を受けた人物はどなたでしょうか?
岩崎氏: バルセロナ五輪競泳日本代表のヘッドコーチだった鈴木陽二先生です。鈴木先生は名コーチである以上に、一人の人間として尊敬できる方です。水泳一筋ではなく、ゴルフなどの趣味も大切にされるような、人生の視野が広い方です。先生は答えを教えるのではなく、会話の中でヒントを「引き出してくれる」存在でした。
現役引退後に取材で再会した際、「ここぞという時に力を発揮できる人はどんな人ですか?」と尋ねたことがあります。先生は「素直さだよ」と即答されました。「素直な人ほど、人の話を聞ける。負けた時に人や物のせいにせず、自分を見つめ直せるからね」と。先生は「当時の恭子にはそれがあったよ」と言ってくださいました。この「素直さ」という言葉は、今でも私の教訓です。大人になっても、人の話を聞ける耳を持っているか、自分に素直でいられているか。常に自分に問いかけています。
――岩崎さんは20歳という若さで引退を決意されました。未練や後悔はなかったのですか?
岩崎氏: 全くありませんでした。次の五輪に向かうだけの「覚悟」が、自分の中で作れませんでした。コーチや家族を巻き込んで競技を続ける以上、中途半端な気持ちでは失礼だと思いました。ここで引退することが、自分にとって一番いい決断だと、ストンと腑に落ちたんです。
2000年のシドニー五輪では、すでにキャスターとして取材する側に回っていました。当時はまだ女性アスリートが引退してすぐにメディアで活躍する先例が少なく、元テニス選手の伊達公子さんや元マラソン選手の有森裕子さんといった先輩方と一緒に仕事をする環境でした。若くして引退したからこそ、新しい世界を早くから見ることができ、素晴らしい経験を積めたと思っています。
――引退を決める際、誰かに相談しましたか?
岩崎氏: 相談はしましたが、結局は「自分で決める」というスタイルでした。これは両親から培われたものですね。私の両親は、子供の判断を常に尊重してくれる人たちでした。 例えば、小学校から通っていた英会話を、中学1年生で「忙しいし、先生と喧嘩したから辞める!」と言い出した時も、両親は「あなたが辞めるなら、それでいい」とだけ言いました。後になって私が「なんであの時止めなかったの?」と聞いたら、「あなたが自分で辞めると言ってきたんでしょ」と笑われました(笑)。子供の意思を信じて任せる。そのおかげで、今の「自分で決断する」私がいるんだと思います。
SNS時代を生きる人たちに伝えたい「自分を大切にする」ことの尊さ
――今の時代、SNSでの誹謗中傷などがアスリートのメンタルに大きな影響を与えています。同じように若くして注目を浴びた立場からアドバイスはありますか?
岩崎氏: 今の世の中は、見えないからといって心ない言葉を投げすぎる傾向にありますよね。でも、一番伝えたいのは「他人のために生きているんじゃない」ということです。 まずは自分を大事にすること。自分を大切にできれば、他人の言葉に振り回されすぎることもなくなるし、巡り巡って他人のことも大切にできるようになります。誹謗中傷をする人は、結局、自分自身を大切にできていない人なのかもしれません。そんな人の言葉に耳を貸す必要はない、と強く言いたい。
私は14歳で五輪に行き、世界には貧しい国や、戦争で命の危険にさらされている国があることを肌で感じました。それに比べれば、日本はなんて平和で恵まれているんだろうと思うんです。悩むこともありますが、世界に目を向ければ、今の自分の悩みがいかに小さなことかと思えるようになります。
――岩崎さんにとって今、一番のリフレッシュは何ですか?
岩崎氏: 意外かもしれませんが、「歩くこと」です。水泳をしていた時間は長いですが、今は地上で太陽を浴び、景色を眺めながら歩くのが一番のリフレッシュで、地上の生活を楽しんでいます(笑)。 父の教え通り、「健康でなければ何もできない」というのが私の信条です。歩くことで体力をつけ、太陽に当たってメンタルを整える。何事も「ほどほどに」を心がけながら、基礎的な体力を維持することが、全てのチャレンジの土台になります。
――今後の挑戦について教えてください。
岩崎氏: やはり、水泳を通じた「教育」をしっかり伝えていきたいです。水泳は脳の発育にも良く、全身運動で健康にも素晴らしい。でもそれ以上に、水という「一歩間違えれば危険な場所」でどう自分をコントロールし、どう考えるか。着衣泳やメンタルヘルスの活動を通じて、子供たちが強く、しなやかに育っていく手助けをしていきたいですね。
子供にもし水泳を教える機会があれば、無理をさせないことが重要です。でも「数をこなすこと」も大事(笑)。嫌いにならない範囲で、でも継続する。水泳は幼少期にやっておけば、一生の財産になります。これからもプールサイドや教育の場で、全力でメッセージを伝えていきたいと思っています。