日本初のプロ宣言から単身オーストラリアへ。
未踏の道を切り拓いてきたラクロス界の異端児、山田幸代氏には強靭な自分軸がある。
常に「自分自身がハッピーか」を問い続ける彼女の、ブレない思考法に迫る。

「ラクロスを、子供たちの夢の選択肢の一つにしたい」――。その一心で、未踏の道を切り拓いてきた山田幸代氏。中学・高校時代はバスケットボールに全てを捧げ、全国大会の常連として活躍しましたが、大学入学を機にスティックを手に取りました。

彼女のキャリアは常に「初」の連続。2005年に日本代表の一員としてワールドカップ5位入賞に貢献し、2007年には日本初のプロラクロスプレーヤーになると、さらなる高みを目指して単身でオーストラリアに渡ります。2017年にオーストラリア代表としてワールドカップに出場すると、ワールドゲームズ(ラクロス競技)では日本人として初めて世界大会でメダルを獲得するという、ラクロス界の歴史を塗り替える快挙を成し遂げました。

しかし、その輝かしい戦績の裏には、数々の「壁」に直面した過去がありました。言葉の壁、文化の壁、そして自分自身の限界への壁…。それらをどう受け止め、どう乗り越えてきたのか。これまでの歩みとその思考法について話を聞きました。(内田 勝治=ライター)

バスケ漬けの日々から未知の競技「ラクロス」の世界へ

――滋賀県のご出身ですが、どのような幼少期を過ごされたのでしょうか。

山田幸代氏(以下、山田氏):とにかく活発な子でした。近江八幡の田舎で、姉の友達の男の子たちに混じり、朝から晩まで外を走り回っていました。親もいろいろなことにチャレンジさせてくれました。バスケットボール、水泳、バドミントン、野球、卓球、剣道、さらにはお琴や書道、そろばんまで…。この「とりあえずやってみる」というフットワークの軽さは、今の私の根幹にある気がします。

 中学生からはバスケに没頭しました。本当に弱いチームでしたが、とにかくバスケが面白くてはまってしまいました。下手なりに全力でプレーしている姿を評価いただいたのか、「こんなに楽しそうにプレーする子は見たことがない」と、長浜北星高校から推薦をいただきました。そこで1年生からレギュラーとして使ってもらい、3年連続でウィンターカップ(全国大会)に出場しました。最後はキャプテンも務めました。当時はまさにバスケ漬けの毎日でしたね。ポジションはガードからシューター、最後はセンターまで、チームの状況に合わせて全ポジションを経験しました。

――大学でもバスケを続ける選択肢はなかったのですか?

山田氏:実はあえて女子バスケ部のない京都産業大学を選んだんです(笑)。中学・高校とバスケ一色の生活だったので、一度離れてみたいという気持ちがありました。ただ、体を動かすことは止めたくなかった。そんな時、ゼミの友達が持っていたラクロスのスティックを見て「何それ?」と興味を持ったのがその後の人生の始まりです。

 最初は衝撃の連続でした。バスケでは手で自由にボールを扱えたのに、ラクロスはスティック一本を介さないと何もできない。「投げたいところに投げられない」というその“不自由さ”が、逆に面白くてハマってしまったんです。

 2028年の米ロサンゼルス五輪で120年ぶりに正式種目として復活するラクロスは「フィールド最速の格闘球技」とも呼ばれます。男子はタックルが認められ、女子もバスケ以上の激しい接触があります。当時はまだ競技人口も少なく、「自分たちで形を作っていける」という未完成な面白さに、これまでにない魅力を感じました。

日本初のプロ宣言と単身オーストラリアで見つけた「強さ」

――大学を卒業した後は大手通信会社に就職されています。

山田氏:営業職としてフルタイムで働き、社内でもトップの成績を上げながら、ラクロスのクラブチーム「FUSION」の立ち上げに参加しました。当時は仕事もラクロスも100%。でも、活動を続ける中で、ラクロスを始めた当初から持つ夢「子供たちがなりたい職業の選択肢に、ラクロス選手という言葉を加えたい」という思いが常に心にありました。 

 それが2007年のプロ宣言に繋がることになりました。当時はプロの規定なんてありません。ある企業の方に「一人でもラクロスだけで生活している人がいないと、子供たちの夢にはならないよね」と言われ、ハッとしたことがきっかけでした。その方の企業、横浜黒川スポーツが契約を申し出てくださったことを機に、覚悟を決めて「プロ宣言」をしました。プロ規定がないなら自分が宣言して形にする。自分が広告塔となり、プロという生き方を示すことで、子供たちの選択肢を増やしたかったんです。

――2008年にオーストラリアの強豪チームへと移籍を決断した背景にはどのような思いがあったのでしょうか?

山田氏:大学4年時の2005年に日本代表としてワールドカップに出場し、5位という結果を残しましたが、自分の中では「まだ足りない」と思っていました。当時のオーストラリアは世界王者の座を争う強豪国。その環境へと飛び込むのは、まさにゼロからのスタートでした。

 実際、現地では想像以上に厳しい現実に直面しました。アジア人であるということだけで差別的な扱いを受けたり、試合会場で卵を投げられたりしたこともありました。でも、そこで「なんで私だけがこんな目に」と思うのではなく、「どうすれば認められるのか」と冷静に分析しました。

 オーストラリアの文化は、良くも悪くも実力主義。言葉で反論するのではなく、フィールドで誰よりも走り、結果を出し続けることで、見られ方を変えていきました。

 また、オーストラリアの「2回褒める文化」にも感銘を受けた記憶があります。日本だと、落ちているボールを捕った時に褒めるじゃないですか。向こうでも同じタイミングで褒めるんですが、その前に落ちているボールに向かって走り出した瞬間に一度「ナイス ジョブ!」と褒めるんです。

 まずは挑戦したことを認めて褒めてくれる。その瞬間のフィードバックを逃さず、怖がらずにチャレンジし続けたことで、対等な仲間として認められるようになりました。オーストラリアでの13年間の戦いがあったからこそ、今の「逆境を栄養にする」私がいるのだと確信しています。

右:山田氏

「逆境指数」を高め、自分自身のハッピーを原動力にする

――2017年にはオーストラリア代表としてワールドカップに出場しました。選考過程は相当過酷だったのではないでしょうか?

山田氏:技術はもちろんですが、それ以上に「個としての自立」を徹底的に求められました。印象的だったのは、代表から落選した時のフィードバックです。日本では「次は頑張ろう」といった精神的な励ましが多いですが、オーストラリアは違います。「今のあなたには、この場面でこの判断を下すための戦術的理解が欠けている」といった、具体的でロジカルな指摘が飛んでくるんです。

 でも、その厳しさが私には心地よかった。自分の現在地が明確になれば、あとはその穴を埋める作業に没頭すればいいだけですから。凹んでいる暇があるなら、その「指摘された事実」をどう改善するか。その繰り返しが、世界最高峰の舞台で戦うためのメンタリティを作ってくれました。

――強靭な海外選手と渡り合うために最も意識されたことは何ですか?

山田氏:海外選手と戦う際、単に筋肉を大きくすることではなく、「アンダープレッシャー(強い負荷がかかった状態)」の中で、自分の思い通りにスティックと身体を連動させられるかが重要になってきます。

 ラクロスは空間の中でスティックを操るスポーツなので、どれだけ激しくぶつかられても軸がぶれない、体幹の強さが不可欠です。自在に身体を扱えるようになれば、体格差のある相手に対してもスピードとテクニックで勝負できるようになります。筋トレも単なる作業ではなく、「この筋肉がフィールドのどの動きに直結するか」を常にイメージしながら取り組むことが、効率を最大化する鍵だと思っています。

――壁にぶつかった時はどうやって自分を保っているのでしょうか?

山田氏:私は「逆境指数(AQ)」という言葉を大切にしています。これはトレーニングや経験で高められる指数です。壁にぶつかった時、それをただの困難と捉えるのではなく、「これを超えたらどんな景色が見えるんだろう?」とワクワクできるかどうか。

 壁があることに気づけた時点で、それは自分に足りないものが見つかったということ。つまり成長のチャンスなんです。あとは人にあまり期待しすぎず、逆境を「ストレス」ではなく「栄養源」として捉えるようにしています。

 こう思えるようになったきっかけは父に言われた言葉です。私が姪にプレゼントを買ったり、ご飯を食べに連れていったりと尽くしていた時に、ふと、「私が子供を産んだら、お姉ちゃんからも同じように返してもらえるのかな」と漏らしたら、父に「見返りを期待するならやるな。お前がやりたくてやってんねんやろ?」と諭されたんです。

 それ以来、「自分がやりたいからやる。それで自分はハッピーだ」というスタンスが明確になりました。誰かに何かをしてあげた、という意識を捨てることで、人間関係の悩みや挫折から解放され、逆境もスッと乗り越えられるようになった気がします。

――モチベーションが下がったり、自分を見失いそうになったりすることはありませんか?

山田氏:もちろん人間ですから、波はあります。でも、私は自分の答えを出す時に「人の答えを自分の正解にしない」と決めています。誰かにこう言われたから、世間的にこうだから、という理由で動くと、うまくいかなかった時に人のせいにしてしまう。

 「なぜ私はこれをやっているのか」という問いに対し、最後は必ず「自分をハッピーにすることだからやっている」という原点に戻るようにしています。そうすれば、どんなに高い壁が現れても、それは自分が選んだ挑戦の一部として楽しむことができる。自分自身の「やりたい」というエネルギーを信じることが、長く走り続けるための最大の秘訣ですね。

「学び方を学ぶ」機会を創出し、次世代へバトンを繋ぐ

――現在は競技者として活躍する一方、子供向けラクロス教室を開くなど、競技の普及に力を入れています。伝える際に意識していることは?

山田氏:「10個褒めて、1個叱る」ことを心がけています。結果に対してあれこれ言うのではなく、まずは挑戦したことを認めて褒めてあげる、自信をつけさせることが大切です。

 あとは、伝えたい内容の前後には必ず「ストーリー」を作るようにしています。伝えたい真意があればその前につながる言葉を付け加えてストーリーを作る。相手にどう納得してもらうかが大切で、アクションや抑揚、感情を乗せて、今だと目で見て感じる感性を乗せてビジュアル的に伝えることを重視しています。 

――学生たちとのプロジェクトでは、どのようなことを目指していますか?

山田氏:7年ほど続けている国際マッチの運営プロジェクトでは、120人以上の学生が関わっています。私が彼らに提供したいのは、答えではなく「アウトプットの場所」です。今の時代、検索すれば答えはすぐに出てきます。でも、それをどう形にするか、「学び方を学ぶ(Learn How to Learn)」かを知らない若者が多い。 

 自分の足で立ち、自分の答えを導き出す。その経験こそが、将来の血肉になります。私はその機会を作る人間でありたいと思っています。

――最後に、山田さんが描く未来の姿を教えてください。

山田氏:私が目指しているのは、単なる競技の普及ではありません。スポーツを通じて、自分で自分の人生を選択し、社会を生き抜く力を持つ「強い人材」を育てていくことです。

 私がプロとして未踏の道を切り拓き、世界の舞台に挑戦し続けてきた経験を、今度は次世代へ還元していきたい。学生たちが自ら考え、動く姿を見て、その下の世代が憧れを抱く。そんなポジティブな循環が社会全体に広がっていくことが、私の今の大きな夢です。

 人生に無駄な経験は何一つありません。変化を恐れず、常に自分がハッピーであることを原動力に、これからもラクロスの新しい価値を世の中に示し続けていきたいと思っています。

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