日常で見慣れた写真やイラストを「切り貼り」し、誰も見たことがない不思議な世界を創り出すコラージュアーティストのQ-TA(キュータ)氏。GUCCIなど世界的なハイブランドから絶大な支持を受ける天才クリエイターでありながら、本人は「答えやピークを決めないつかみどころのなさ」を軽やかにまと続けています。
一見すると、直感だけで素材を組み合わせているように見える世界。しかしその奥底には、10代から傾倒したアニメやゲーム、そしてDJとして空間の空気感をコントロールしてきた「計算された余白」が静かに息づいています。
「手元にないものを嘆くのではなく、視点を変えて目の前にあるものを面白がる」――。そう語るQ-TA氏が提示する「コラージュ思考」とは、単なるアートの手法にとどまらず、正解のないAI時代をタフに生き抜くための、強力な人生の羅針盤となり得るものでした。大通りではなく、あえて路地裏を歩き続けるQ-TA氏の深遠なる「脳内地図」の全貌に迫ります。(内田勝治=ライター)
アニメスタジオの出待ちから始まった「何かを創る側」への渇望
――Q-TAさんは現在、コラージュアーティストとして国内外を舞台に活躍されています。何かを表現し始めた最初のきっかけは何だったのでしょうか。
Q-TA氏: 子供の頃から世の中で創造されていないものを創るということが大好きでした。だから、大人になっても「常に何かを創る側にいたい」という思いが根底にありましたね。
実は、10代の頃に一番どっぷりはまっていたのはアニメーションの世界でした。あまりに好きすぎて、当時「新世紀エヴァンゲリオン」を手がけていた庵野(あんの)秀明さんがいたアニメスタジオの前で出待ちをして、自分の作品を「見てください!」って直接手渡したりしていました(笑)。
最初はゲーム会社に就職しました。アニメをやりたいというのは漠然とありましたが、当時、アニメーターという職業は基本的には出来高制の世界で、時間も拘束されました。その一方で、私は10代後半から趣味でDJなどの音楽活動をしていて、自分たちでクラブイベントを主催していたんです。アニメーターの過酷な労働環境と出来高制の収入では、この大好きな音楽生活が絶対に維持できないなと気づきました。そこで、毎月決まった固定給がもらえるゲーム会社でキャラクターを描いたりしながら、6年ほど勤務しました。
――コラージュアーティストとしてはいつから活動を始めたのでしょうか?
Q-TA氏: ゲーム会社を退職後、一瞬だけ商業誌の漫画を描いていた時期もありました。その後、20代後半に広告代理店へ転職。サブカルチャーを一通りなぞったので、次は毛色の違う「広告」という厳しい世界で、アートディレクターとして刺激的な仕事に挑戦してみようと思ったんです。
ただ、広告の世界も猛烈に厳しく、昼から夜まで会社で働き、夜中にちょっと抜け出してクラブでレコードを回し、朝方にまた会社に戻って仕事をして、というサイクルになってしまって。これでは体を壊してしまうなと思い、自分のペースを保てる環境として、ファッション系のビジュアルを専門に扱うデザイン事務所に移り、そこから10年以上、様々なアパレルブランドのビジュアル制作や撮影に携わっていました。
その仕事を手がけながら、2011年頃にインスタグラムで自分の趣味的なコラージュ作品を取り上げていったら、海外からのフォロワーが増えたので、そこから「コラージュアーティスト」と名乗り、活動を始めました。
世の中のあらゆるものは、どこかで少しずつ影響し合っている
――バラバラに見えるすべての経験が、現在のコラージュ作品に繋がっているようにも感じます。
Q-TA氏: まさにその通りです。世の中にあるあらゆるものが、実は完全に独立しているわけではなく、どこかで少しずつ影響し合っている。そのことに10代のどこかで気づくわけです。それぞれのものが集まって完成されていると分かった時、意識的に物事を「パーツ化」して捉えられるようになると、自分の中で「これとこれを組み合わせたら、もっと新しい価値が生まれるんじゃないか」という組み立て、グラデーションの思考ができるようになってきました。
――Q-TAさんのコラージュは、ただインパクトのある画像を奇抜に切り貼りしたものではなく、見ている側に「なんだこれは」と思わせる独特の「深み」があります。この感覚はどこから生まれるのでしょうか?
Q-TA氏: 私がやっているコラージュというのは、単に「切って貼る」作業ではなく、素材と素材との「間」に何を感じるかだと思うんですよ。素材をただ分かりやすく並べただけの作品は、いかにも「コラージュっぽいよね」という表面的なレベルで終わってしまい、奥行きが出ない。そうではなく、一見すると素材としては地味で、何に使うか分からないようなパーツ同士を絶妙な距離感で配置する。
すると、観る側が「なんだこれは?」と立ち止まり、自分の内面にある記憶や感情と照らし合わせて、勝手にその「余白」を咀嚼(そしゃく)し始める。私は、決して手数の多さや派手さではなく、極限までシンプルな構造の中で、どこまでその内省的な感覚を芽生えさせられるかを、常に探っています。
――コラージュを制作される際、あらかじめ頭の中に完成形の明確なイメージがあって、それに合う素材を探していく形なのでしょうか。
Q-TA氏: すべては「素材ありき」で、どんどん変わっていきます。仮に「こういうものを創りたい」というコンセプトがあったとしても、それに合う素材がないとできません。その素材を探している間に別の素材が出てきて、「こっちのほうがいいかな」と、どんどんシフトチェンジしていき、目の前の「偶然性」を追いかけていく。
気づいたら、その2択を繰り返して最終的に着地するようなもので、自分でも完成形がどこに行くのか、事前には全く分かりません。コラージュにおいて最も重要な能力は、技術ではなく「ここで止める」という「判断のセンス」なんです。
――強烈に惹きつけられ、2度見してしまう作品の共通点とは何でしょうか。
Q-TA氏: 自分がよく知っている従来のものに近いけれど、実は全く違うものであれば、グッと入り込んでいけますよね。例えば、コップがテーブルの上から1メートル浮いていたら、誰もが最初はびっくりしますが、次の瞬間には「これはそういう仕組みなんだな」という1つの認識に固定されてしまう。
ところが、そのコップがテーブルからわずか2センチだけ絶妙に浮いている状態だったらどうでしょうか。「え? これ、浮いてるのかな? それとも私の見間違い?」「今まさに着地しようとしてる瞬間なのかな?」と、その2センチの隙間に対して無限の想像力を引き掻き立てられ、いろいろと想像ができるんです。
面白がらせようとして、わけのわからないものを盛り込みすぎるのは逆効果。みんなが共有している一般的な日常の認識を、ほんのちょっとだけずらす。この絶妙な「ずらし」こそが、コラージュ思考の真髄です。
大通りではなく路地裏を楽しむ「余裕」を持つ
――Q-TAさんのコラージュの手法は、現代社会を力強く歩むための「人生のアプローチ」にも通じているように感じます。
Q-TA氏: 私が本当に伝えたいのは、作品の作り方ではなく、「コラージュ思考」そのものを身につけることで、自分の身の回りが劇的に面白くなるよ、ということなんです。
何かをやりたいんだけど、諦めちゃう人がほとんどの世界で、その方向が行き止まりならば、角度を変えたら抜け道があるかもしれない。その抜け道が細すぎて今の自分じゃ通れないのなら、自分が痩せて通れるようにすればいい。壁が高くて乗り越えられないんだったら、それを乗り越えられるぐらいのジャンプ力をつければいい。問題に対して、どういう角度からアプローチしてクリアするか。そのためには、自分自身を固定化せず、柔軟に変形させていく視点が不可欠です。
それを踏まえた上で、「コラージュ思考」というのは、両手にはAとBの素材しか持てないではなく、ABという素材一つにすれば、片手が空くので、そこにCという素材を組み合わせてABCという素材にする。それを繰り返していき、自分が気持ちいいところで止めればいいし、何かを間引いてもいい。
今の人たちは、こうしなきゃいけないと決められて動いているし、工夫がなくすぐ諦めてしまうことが多々あると感じています。そういった「コラージュ思考」があると、それが正解ではないかもしれないけれど、刺激にはなります。自分がこうだ、と思ったものをちょっとずらすことによって、見え方が違うということは、ずらし続ければ360度の視点で見渡すことになる。全てを見渡した上で、自分が進む道を決めてもいいのではないでしょうか。
――AIに聞けば効率的な答えを教えてくれる時代だからこそ、あえて多角的な物の捉え方が重要になってくるのですね。
Q-TA氏: 私自身の生き方なのですが、目的地へ向かうときに、みんなが並んで歩いている「大通り」ではなく、なるべく、入ったことのない「路地裏」の脇道を歩くようにしています。大通りを歩いていれば100%目的地に着くかもしれないけれど、そこには何の発見も驚きもない。
あえて路地裏に入るからこそ、予定調和ではない偶然の発見がある。そこにはおいしい喫茶店があるかもしれないし、かわいい猫がいるかもしれない。もちろん、入った路地裏がただの行き止まりで、引き返さざるを得ないことだって多々あります。でも、効率主義の人たちはそれを「失敗した、時間の無駄だった」とネガティブに捉えてしまう。それは大きな間違いです。行き止まりから元の大通りに戻るとき、最初に入ったときとは「180度違う景色」を見ているわけですから。
最終的に私が言いたいのは、そういう路地裏に入る「余裕」がある方が、人生は全然楽だし、楽しいよということなんです。コラージュだって、何十人が同じ時間と同じ素材を使っても、表現は十人十色です、まずはそのことを理解しないといけないし、生き方なんかはみんなバラバラで、そこに答えがあるはずもなく、ワケが分からないのが当たり前なんです。
故郷・宮城県との奇跡の邂逅、そして世界を刺激する「トゲ」になる
――近年、Q-TAさんの活動は個人のアート制作だけでなく、地方自治体を巻き込んだ地域活性化など、より大きな枠組みへと広がっていますね。
Q-TA氏: 2023年に、ある人から「ゆるキャラを創ってほしい」と頼まれました。詳細を聞けば、なんと私の生まれ故郷である宮城県塩竈市の案件でした。日本全国に何万という市区町村がある中で、ピンポイントで自分が生まれ育った魂の原風景である塩竈市の案件が、偶然というか、奇跡に近い確率で向こうから舞い込んできたんです。
日本三大船祭りとされている塩竈市の「塩竈みなと祭」のイメージキャラクター「ほーちゃん」と「りゅーくん」のデザインを手がけましたが、この体験が私のクリエイターとしての意識を大きく変える分岐点になりました。
それまでは、ただ普通に面白いものを創ればいいという考えだったのですが、「この繋がり自体が、人生の壮大なコラージュなんだ」と腑に落ちたところがありました。自分が探さなくても、奇跡的に素材から舞い込んでくることもあるのであれば、その素材を手に取って、もっと面白い組み合わせを考えていかなければいけないという考えになった瞬間に、世の中にはまだまだ自分が知らない素材があるわけだから、そういうものを見つけてどんどん組み合わせていこうという気持ちになりました。
――行政や地方の深刻な問題に対しても「ずらしの視点」が入ることで、ドラスティックな変化が生まれそうです。
Q-TA氏: 行政の仕組みというのは、どうしても「平均点を取りに行く」「前例を真似して丸く収める」という思考に陥りがちです。でも、世の中のすべての表現や仕組みが、当たっても痛くもかゆくもない「丸みを帯びたもの」ばかりになってしまったら、国全体がどんどん生命力を失って死んでいってしまいます。真面目に悩んで膠着(こうちゃく)している地方の現場に対して、私のような天邪鬼でつかみどころのない人間が全く違う角度から「トゲ」を突き刺す。最初こそ「なんだこれは!」と戸惑うかもしれないけれど、その尖ったトゲの刺激があるからこそ、硬直した細胞が活性化し、「こんな簡単な見方のずらし方で、何十年も悩んでいた問題が解決するんだ!」という劇的な気づきが生まれるんです。
――今後、人に転機をもたらすことができるなら、どんな言葉をかけてあげたいですか?
Q-TA氏: 自分が100変わることができる事象を待っているのではなくて、今の自分には40しかないけど、あと60をどうすれば足すことができるかを想像していくことが大切です。
今の人は、自分に対しても、外に対しても100を求めすぎています。縛られることが一番ダメで、常に自分の重心を移動できるように、軸、体幹を強く持つこと。例えば、消防士がイラストレーターになってもいいんです。自分という素材に、他の素材をどんどん組み合わせて、見たこともない自分を創り上げる。変わり続けることを恐れず、ただ、さっきも言ったように、センスも必要で、死ぬまで変わり続けるのではなく、ここが一番気持ちいいというポイントを知ることも大切です。
――最後に今後の目標について聞かせてください。
Q-TA氏: 私は、死ぬ瞬間がクリエイターとして、そして人間として一番のピークでありたいと本気で思っています。だからこそ、自分の現在地を固定して満足するつもりは微塵もありません。まだ食べたことのない世界中の未知の素材をつまみ食いし、「味変」を繰り返しながら、未来へ向けて、常に自分の重心を軽やかに移動させながら、世界をあっと驚かせる新しいコラージュを仕掛け続けていきたいです。