ゴルフ漫画として異例のヒットを記録し続ける『オーイ!とんぼ』の原作者、かわさき健氏。
失意の駐車場でクラブをペンに持ち替え、巨匠の父と同じ表現者の道へ。
「諦めること」は「次へ行くための発見」。自身の生き方を振り返った。
週刊ゴルフダイジェストで連載中の人気漫画「オーイ!とんぼ」。シリーズ累計発行部数は290万部を突破するなど、専門誌の連載漫画としては異例の人気を誇っています。
その瑞々しくもリアルな物語を生み出しているのが、原作者のかわさき健氏です。 かわさき氏の父は、「巨人の星」や「いなかっぺ大将」で知られる昭和漫画界の巨匠・川崎のぼる氏。偉大な父の背中を見て育ちながらも、かつて彼は漫画の道ではなく、ゴルファーとして勝負の世界に身を投じていました。
しかし、5度にわたるプロテスト失敗を経て、クラブをペンに持ち替えることになります。「漫画家は1週間に3時間しか寝られない地獄の仕事だと思っていた」と語る彼が、なぜあえて父と同じ表現者の道を選んだのか。
そして、日本中のゴルファーを熱狂させる「とんぼ」というキャラクターに込めた、かつての自分と憧れのヒーローの影とは。プロテストに落ちたゴルフ場の駐車場で決意したあの日から、熊本の地で「週一ゴルファー」として人生を謳歌する現在まで、かわさき健氏の「隣のレーンに飛び移る」勇気と不屈の物語作りの原点に迫ります。

父の地獄の生活を見て「漫画家には絶対ならない」
――かわさきさんは、あの川崎のぼる先生を父に持つという、特殊な環境で育たれました。どのような幼少期だったのでしょうか?
かわさき健氏(以下、かわさき氏):父はとにかく猛烈に忙しかったので、幼少期はほとんど「母子家庭」のような状態でした。父との接点は、正月などの休みに家族旅行へ行く時ぐらい。父のアトリエには編集者の方々が常に詰め、アシスタントさんも10人近くいて、とにかくタバコの煙が充満しているような場所でした。子供が気軽に入っていける雰囲気ではありませんでしたね。
――そんな父の背中を見て、やはり「自分も漫画家に」という思いはあったのですか。
かわさき氏:全くなかったです(笑)。むしろ「漫画家には絶対にならない」と思っていました。当時の漫画家は本当に過酷で、父も「1週間に3時間しか寝られない」と言っていたほどで、しかも、まとめて3時間寝るのではなく、トイレに行った隙に編集者の目を盗んでちょっとずつ寝ていたようです。そんな地獄のような生活を間近で見ていましたから、憧れよりも「大変すぎる仕事だな」という思いの方が強かったんです。
ただ、父のことは誇りに思っていました。仕事場には手塚治虫先生などの漫画本がたくさんあったので、それを読むのは大好きでした。
――漫画ではなく、スポーツにのめり込んだのはなぜでしょうか?
かわさき氏:小学生の時に満員電車に乗った経験が大きかったんです。目の前にいた自分より小さな女の子がギュウギュウに潰されそうになっているのを見て、「これを毎日続けるサラリーマンには絶対になれない」と思っていました。東京・三鷹の自宅から京王線に乗る都会の喧騒が嫌で、体を動かすことに解放感を求めたのかもしれません。中学の時はサッカー部のほかに、自転車部を立ち上げたり、高校では山岳部で活動したり、とにかく外で活動することに熱中しました。

「明日から俺もゴルフをやる」親友との出会いと別れ
――ゴルフとの出合いは、どのようなものだったのですか?
かわさき氏:最初にクラブを握ったのは、小学生の時に父の練習にくっついて行った時です。でも本格的に始めたのは高校1年生の時でした。同じクラスに、ゴルフが天才的にうまい友人がいたんです。ジュニアの大会でも活躍している彼からゴルフの魅力を聞いているうちに、「俺もやりたい!」と思い、翌日から部活を辞めてゴルフを始めました。
実は、その友人が僕の人生に大きな影響を与えています。残念ながら、彼は僕が研修生時代に亡くなってしまったんです。海で溺れている子供を助けようと飛び込んで、そのまま帰らぬ人となりました。
葬儀の際、彼のお父様が「(遺体で発見された時も)息子は助けようとした子の手を離していなかった」とお話しされていて。ゴルフの実力も、人間としての器も、一生敵わないなと痛感しました。そのショックは計り知れなかったですが、彼の分までゴルフを突き詰めたいという思いもどこかにあったのかもしれません。
――高校卒業後は、そのまま研修生の道へ進まれたのですね。
かわさき氏:高校3年生の夏、テレビで「全英オープン」を見て、スペインのセベ・バレステロスが優勝したシーンに震えるほど感動したんです。「この舞台に立ちたい」と思い、プロテスト合格を目指して、研修生としてゴルフ漬けの毎日を送りました。
しかし、現実は甘くありませんでした。プロテストには5回落ちました。自分なりに一生懸命やっていましたが、結果が出ない。5回目の不合格を突きつけられた時、ゴルフ場の駐車場で考え込みました。「今の環境でこれだけやってダメなら、もう無理だ」と。この時、もし父が漫画家でなければ「漫画原作者」なんて選択肢は浮かばなかったでしょうね。絵は描けないけれど、文章なら書けるかもしれない。今思えば「舐めた考え」からのスタートでした。
人生を分けた「決断」と最愛の妻との出会い
――プロの道を断念した際、すんなりと切り替えられたのでしょうか?
かわさき氏:実は、駐車場で悩んでいた時は「別のゴルフ場に移って、もう1、2回挑戦しようか」という未練もあったんです。ただ、僕の人生の大きな「ラッキー」だったのは、妻との出会いです。研修生時代、腰を痛めて歩くのもままならなかった時期があったのですが、その時にリハビリで通ったスポーツジムでトレーナーをしていたのが彼女でした。
自身もソフトボールの選手で、怪我を乗り越えて社会人チームに再チャレンジしようとしている時期でした。お互いにボロボロの状態から再起を目指していた時に出会い、支えられたことは、僕が漫画の世界へ飛び込む大きな勇気になりました。
――デビューまではどのような修行をされたのですか?
かわさき氏:デビュー自体は早かったんです。原作を『ヤングマガジン』の公募に出したら、それがそのまま採用されました。でも、そこからが本当の修行でした。単発の仕事はあっても、それだけでは食べていけない。初めて週刊誌の連載をもらえるようになるまでは、くしくもゴルフ研修生時代と同じ「7年」という月日がかかりました。
父との関係は原作者を志してからのほうが、圧倒的に濃くなりましたね。物語作りから、漫画としての見せ方まで、徹底的に叩き込まれました。
最初に書いた原作を父に見せた時のことは忘れられません。時代劇の冒頭で貧しい農夫を書いたのですが、父から言われたのは「この朝の挨拶のシーンだけで、漫画なら3ページは使うぞ。そんなことにページを使っていたら、読者は次のページをめくってくれない」ということでした。
「最初の3ページで読者を掴め」「悲しい話を描きたいなら、最初から悲しくしちゃダメだ。笑いから入るようなメリハリをつけなさい」とも言われました。小説とは違う、漫画という媒体特有の呼吸を、巨匠である父から直接学べたことは、僕にとって何物にも代えがたい財産です。

「オーイ!とんぼ」誕生秘話とトカラ列島での取材
――「オーイ!とんぼ」という作品は、どのようにして形作られていったのですか?
かわさき氏:ゴルフダイジェスト社からオファーをいただいた時、自分のこれまでのゴルフ人生の集大成にするつもりで挑みました。主人公の「とんぼ」の設定は、僕のヒーローだったセベ・バレステロスがモデルです。彼は拾った3番アイアンに木の棒を挿して、その1本で遊びながらゴルフを覚えた。その「遊びの延長にある凄み」を描きたかった。
最初は、一見男の子に見えるけれど実は女の子だった、というサプライズから物語を始めようと考えました。そして舞台設定ですが、当時の編集長から「もっと過酷な離島、鹿児島のトカラ列島はどうだ?」と提案があったんです。
トカラ列島に実際に訪れてみたら、ゴルフ場なんてどこにもありませんでした(笑)。でも、「ここにコースを作ったら面白いだろうな」という素晴らしい景観があった。島の人たちが手作りでコースを作るというエピソードも、長崎県の五島列島に実際にある小さなコースをヒントに膨らませていきました。
作画の古沢優先生には、技術的な描写に関してかなり踏み込んだ話をさせていただいています。僕は差し絵を添えて「この動きはこうです」と渡すのですが、ゴルフ専門誌での連載ですから、絶対に技術的な嘘はつきたくない。漫画的な派手さはあっても、その根底には「リアルな物理法則」と「スイング理論」を積み重ねる。そうすることで、読者に確かな納得感を与えられるのだと信じています。
――プロテストの失敗、親友との死別、そして父の背中…。多くの経験をされてきたかわさきさんにとって、人生の転機はいつでしょうか?
かわさき氏:やはり、あのゴルフ場の駐車場で「次どうしようかな」と立ち止まった瞬間ですね。あの時、別の道を選ぶことができて本当に良かったと感じています。
僕は、何かに一生懸命取り組んでいるのに行き詰まっている人には「隣のレーンに飛び移ってみてはどうだろうか」と伝えたいんです。
日本では「諦める」という言葉にマイナスなイメージがつきまといますが、実は「諦める」の語源は、仏教用語の「明らかにする」という意味だという説があります。必死にもがいた結果、「この道は自分にはうまくいかないんだ」ということが「明らか」になった。それは挫折ではなく、次へ行くための発見なんです。
同じやり方を続けても、見える景色は変わりません。でも、必死に走ってきた熱量を持ったまま隣のレーンに移れば、今度は全く違う景色が見えてくる。僕にとって、ゴルフから漫画への転身はまさにそうでした。ゴルフに捧げた情熱は、今、原稿を書くための血肉になっています。

「東京が肌に合わない」熊本移住とこれからの夢
――現在は、お母様の故郷でもある熊本に移住されています。
かわさき氏:小さい頃から満員電車が嫌いだったくらいですから、東京という場所がずっと肌に合わなかったんです(笑)。今は熊本の菊陽町という、空港にも近くて自然豊かな場所に住んでいます。今はメールで原稿を送れる時代ですから、出版社が東京にあっても大きな問題はありません。
週に一度は遊びでゴルフを楽しみ、地元の美味しい「馬のレバ刺し」を肴にお酒を飲む。そんな生活の中で、新しい物語の構想を練るのが何よりの幸せです。
――今後、書いてみたいジャンルはありますか?
かわさき氏:ほかのインタビューでもお話ししたことがありますが、西部劇やフランス革命時代の物語など、書いてみたいテーマはたくさんあります。父の『荒野の少年イサム』が大好きなんですが、派手なガンアクションだけではなく、故郷の家族を思うカウボーイの孤独や人間ドラマを描いてみたいですね。
自分がワクワクする「新しいレーン」を見つけたら、またそこへ飛び込んでいきたいです。これからも、読者の皆さんの心に届く物語を、熊本の風を感じながら紡いでいきたいと思っています。

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