TOKAGE TOKAGE
# 輝きの裏側
製鉄工場の正社員で10年勤務 異色のラッパー、十影が目指す 次世代への還元と政治家転身
PROFILE
1983年生まれ、東京都出身。2009年にソロ作「MILLION MAGNITUDE」でデビューして以降、アルバム「ネ申物語」などをリリース。映画「TOKYO TRIBE」やCM、バラエティ番組などにも出演。2021年にはバナナジュース専門店「トカバナナ」を開店。2026年より新YouTubeコンテンツ「ウルトラスマッシュ」を始動予定。
TOKAGE TOKAGE
# 輝きの裏側
PROFILE
1983年生まれ、東京都出身。2009年にソロ作「MILLION MAGNITUDE」でデビューして以降、アルバム「ネ申物語」などをリリース。映画「TOKYO TRIBE」やCM、バラエティ番組などにも出演。2021年にはバナナジュース専門店「トカバナナ」を開店。2026年より新YouTubeコンテンツ「ウルトラスマッシュ」を始動予定。
製鉄工場の正社員として十年間勤務しながら、全国ツアーを回った異色のラッパー、十影氏。
5年間隔の緻密な人生設計で一軒家購入までをも果たした。
盟友の急逝や育児の苦悩を越え、次世代への還元と政治家転身を目指す。
派手な身なりと刹那的な生活──。ラッパーにはこうしたステレオタイプなイメージが付きまといます。しかし、ラッパーの十影(とかげ)さんは製鉄工場の正社員として10年働きながら、音楽活動を続けてきた異色の経歴の持ち主です。
一見、破天荒に見える十影さんですが、20歳を過ぎた頃には既に計画的なビジョンを描いていました。5年ごとに目標を立て、一つずつ実現。さらに起業、新型コロナウイルス禍でのシングルファザーとしての子育て、新事業の立ち上げ……。次々と予期せぬ変化が襲ってきますが、緻密な計画と動物的な直感で乗りこなしてきました。「ラッパーこそ正社員になったほうがいい」。十影さんの真意に迫ります。(内田 勝治=ライター)

──十影さんは製鉄工場の正社員として10年働きながら、全国ツアーも回っていたそうですね。「ラッパーこそ正社員になるべき」と語る真意を聞かせてください。
十影氏:朝の9時から夕方5時まで製鉄工場で会社員として10年ほど働いていました。ラッパーは、アルバイトではなく、正社員になったほうがかえって融通がきくし、理にかなっているんです。仕事が終わる平日の夕方から夜にかけての時間帯で曲を作り、レコーディングができます。ライブは週末にやることが多く、仕事が休みなので出演できます。少し有名になると、平日の昼間にイレギュラーな仕事が入ることもあります。そういう時は有給を使います。
働きながら全国40カ所でツアーを回ったこともありました。会社も音楽活動について理解してくれていたし、仕事も頑張っていたので、有給を取っても許されていた面もありますね(笑)。
アルバイトだと休めば収入がなくなります。でも正社員なら月給とボーナスがあるので、安心して音楽活動に励むことができます。自分は曲を作ることが好きですが、リリースしても稼げない年ももちろんあります。宝くじのようなものです。そういう環境だったから、会社員をやめようと思ったことはありませんでした。
住宅ローンを組めたのも会社員だったからです。音楽活動で稼いだ資金を頭金に、35歳の時に一軒家を買うことができました。
最終的には、部下もいて、役職にも就いていました。でも、工場が移転するタイミングで退職しました。
──ヒップホップのどこに魅力を感じ、ラッパーになろうと考えたんですか?
十影氏:自分たちの世代は、ロックやハードコアなど洋楽を聴いていると、ちょっとかっこいい、みたいな世代だったんです。最初は洋楽を聴く中で、『NOW』などのオムニバスCDで伝説的ラッパーの2Pac(トゥパック※1)やCypress Hill(サイプレスヒル※2)に触れていました。
自分が小・中学校の時にはすでにキングギドラ(※3)も曲を出していたんですが、最初は洋楽から入りました。17歳頃からラップを始め、その後、先輩たちが立ち上げた「LUCK-END(ラックエンド※4)」というクルーに加入しました。その頃は「楽しければいい」という毎日を送っていました。
20歳頃から少しずつ注目されはじめました。21歳で初めてライブにゲストで呼んでもらい、5000円のギャラをもらうことができました。微々たる報酬ですが、初めて『ラップで稼ぐ』という実感を持てた瞬間でした。
自分は破天荒なキャラに見られがちですが、意外と人生設計をきちんと考える方です。そこからラップを続ける意義というか、ラップを続ける上での目安として、5年ごとに具体的な目標を描き始めました。
まずは25歳までに定期的にライブにゲストで呼ばれること。ライブのギャラは1回5万円ほどで、毎週末に1、2カ所に呼ばれたら月に20万から30万円にはなる。そうすれば生活が成り立ちます。
次に、30歳までに全国ツアーを回るという目標を立てました。そして35歳までにラップで稼いだお金で一軒家を買うという目標もクリアできましたし、40歳までに事業を始めるという目標もバナナジュース事業を立ち上げることでクリアしました。
今は42歳ですが、次なる目標は、45歳までに日本のヒップホップシーンに貢献するコンテンツを作ることです。この目標は、例えばタワーマンションに住む、高級外車に乗るというたぐいのものではありません。頑張っているラッパーなら達成できるかできないか、非常に難しいラインなんです。
※1 1990年代を代表する伝説的ラッパー。25歳で銃撃により死去
※2 1990年代にアメリカを席巻したヒップホップグループ
※3 Zeebra、K DUB SHINE、DJ OASISからなる日本のヒップホップグループ
※4 ヒップホップやレゲエのアーティストが所属する東京を拠点とするクルー
──なぜバナナジュース事業を立ち上げたのでしょうか?
十影氏:まだコロナ禍になる前、レーベルの親会社が飲食関係の会社だったんです。その会社の方に「レストランをやらないか」と誘われていましたが、コロナ禍に入り、飲食店に行くこと自体が悪だというような空気がまん延し、話が立ち消えになってしまいました。考えた末に、キッチンカーでテイクアウトできて、ワンコインで買えるバナナジュースなら、お客さんが気兼ねなく利用できると考えたんです。
事業を始めた最中にシングルファザーとなり、ワンオペ育児が始まりました。まだ1歳にもなってない息子は歩くことができず、夜泣きはするし、大変でした。幸い保育園には入園できたので、昼間の間は預けることができました。
ただ、当然ながら夜に出歩いたりはできません。世界が急激に狭まった感覚でしたね。それにシングルファザーに対して正直負い目を感じていて、なかなか人に相談できなかったんです。一瞬、音楽を辞めようかなと思い悩むこともありました。
ある時、思い切って友達に相談すると、子どもを預かってくれたんです。そこから限られた時間の中でできる音楽のやり方を模索していきました。
シングルファザーになり、音楽活動だけでなく、働き方も大きく変わりました。保育園に子どもを預けている間になんとしても稼がないといけない。それにプラスして音楽活動もしたい。音楽活動は、バナナジュース屋にも影響してくる。ファンの方もお店に来てくれるので音源をリリースしないと、お客さんは減ってしまうんです。
バナナジュースは冷たい飲み物なので、4月から10月までの稼げる時期に1年分の売上を上げないといけません。冬も営業していますが、寒さを耐え忍ぶ修行だと思っています(笑)。1日で売上が大きくなるマルシェ(市場)などの金脈をどう見つけるか。ただ、一度子どもが発熱をしたことがあって、平日の大きな会場で営業できないといった不測の事態に陥ることもありました。
中には自分のことを「バナナジュース屋の面白いお兄さん」としか思っていない人もいます。音楽活動をしていることを知らない人もいるし、自分からもあえて言いません。
──その歩みの中で盟友であり、同じくLUCK-ENDに所属したラッパーのBIG-Tさんが急逝された経験をされています。BIG-Tさんから受けた影響は?
十影氏:彼の死は転機となった出来事でした。同じ歳で、5年間ルームシェアをしていて、本当の兄弟のような仲でした。彼の曲にある「チャンスには敏感に、動く時は大胆に」という歌詞に影響を受けました。一緒に住んでいて一番影響を受けた部分かもしれない。バナナジュース事業も「チャンスには敏感に、動く時は大胆に」という考えがベースにありました。
ルームシェアしていた頃はお互いダラダラしている日もありましたが、たまに急なチャンスが転がり込んでくると、彼は一切寝ないでやるんです。ここぞというときの体力は人一倍ありましたね。
みんなが明日やればいいと考えるようなことを明日に延ばさず、今日ある程度まで進めるという点も人と違っていました。音楽を作ることは、人と人とのやり取りで、時間をかけると相手の情熱が冷めてしまう。「鉄は熱いうちに打て」といった感覚です。そういう行動を取ると協力してくれる人が増えてきます。自分は結構明日に延ばしちゃうタイプなので、とても学びが多かったですね。
ただ、ルームシェアをやめて、互いに1人暮らしを始めた1年後に彼は脳出血で亡くなりました。もし一緒に住み続けていれば、自分が救急車を呼んで助かったかもしれない。その後悔が人生にずっと付きまとっています。

──45歳までに日本のヒップホップシーンに貢献するという目標について聞かせてください。
十影氏:2026年1月からYouTube上で「ウルトラスマッシュ」というコンテンツを始めました。これは、毎週1曲、新曲をアーティストと作りコンテンツにしていくんです。
楽曲制作に関しては、自分も含めビートメイカーやプロデューサーが一から入り、こういうことを歌ったほうがいい、このアーティストならばこういう曲が面白いなどを話し合って制作していきます。今(取材時点)はそのために動いています。
現在、YouTubeにアップされているヒップホップのパフォーマンス動画は、既存の曲をそのコンテンツで歌ってもらうものが多いです。つまり、自身の力である程度有名になった人たちを引っ張っているんです。それはそれでありなのですが、自分はまだ世に出ていないけど才能があったり、もともと有名なアーティストだったり、有名無名に関係なく、他のアーティストとは違うものを持っている人たちと作っていきたいと考えています。
ヒップホップはレベル・ミュージック──反骨精神を表現する音楽なんです。その素晴らしさを伝えるために、有名、無名問わずこのコンテンツで人生を変えるアーティストが生まれたら良いなと考えています。
でも、ウルトラスマッシュで有名になったからと言って、協力してくれる人には「自分たちがずっと関わることはしないようにしよう」とは伝えています。おそらく何年も続くコンテンツになると思うし、もしかしたらものすごいスターが生まれるかもしれない。もし、そういうアーティストが出たら、「こんなところにいないでメジャーと契約してきな」と言いたいですね。
──45歳以降の目標を教えてください。
十影氏:50歳までの目標として1人でも2人でも受け入れられる児童養護施設を作りたいんです。シングルファザーを経験して、その大変さを痛感しました。40歳までは自分のためのキャリアでしたが、これからは社会に還元していくフェーズかなと思っています。そのためには、ウルトラスマッシュを大きくして、投資してもらえる男にならないといけません。
自分の場合、音楽から飲食、音楽からコンテンツ、飲食からコンテンツなどいろんな間口があると思っています。バナナジュース事業は飲食の人とつながり、夢を応援してくれる人や、資金面で力になってくれる人が現れる可能性もあります。シングルファザーとしての姿勢に共感してくれる方がいるかもしれません。
そうやって60歳で、お金に困らない政治家になりたいですね。議員報酬は受け取らずに、世のためになるような活動をする。自分の資金で街おこしに投資するような、そういう政治家になりたいです。

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visions and strategies, each story offers valuable insights into how they think, lead,
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