東京デフリンピック女子バスケ代表で悲願の金を獲得した丸山香織。
青春時代は聴覚障害を受け入れられず、「偽りの自分」を演じ続けた。
デフアスリートとして社会とスポーツをなめらかに繋ぐ架け橋を目指す。

デフバスケットボール女子日本代表として、2025年東京デフリンピックで悲願の金メダルを獲得した丸山香織(まるやま・かおり)氏。聴覚がいを抱えながら、視界いっぱいに広がる情報とコンマ数秒のアイコンタクト、研ぎ澄まされた予測力を武器にコートを駆け抜けます。

かつては耳が聞こえない現実を受け入れられず、周囲に合わせて「偽りの自分」を演じる葛藤の中にいました。その限界を破ったのが、18歳でのデフバスケットボールとの出合いです。自分らしくコートで躍動する仲間の姿に衝撃を受け、彼女の人生は大きく動き出しました。

デフバスケットボール女子初の「デフアスリート社員」としての挑戦、そして地域間の情報・環境格差を解消すべく立ち上げた「DEAF SPORTS BASE」。日本の人口の約10分の1が何らかの障害を抱える現代において、彼女の存在は単なるトップアスリートにとどまらず、一般社会とデフスポーツをなめらかに繋ぐ架け橋となっています。静寂のコートから世界を制した足跡と、彼女が切り拓く未来の本質に迫ります。(内田勝治=ライター)

「音なきコート」で極限まで高まる空間把握能力と集中力

——デフバスケットボールの「音のないコート」内では具体的にどのような情報が飛び交い、どのようにプレーが組み立てられているのでしょうか?

丸山香織氏(以下、丸山氏):コートの中に一歩足を踏み入れると、そこにあるのは完全な視覚の世界です。審判の笛の音は聞こえませんから、コート脇に立つフラッグマンの挙げる旗、そしてバックボードに設置された赤や黄色の点灯ランプが「音」の代わりになります。

 しかし、最も重要なのはコート上にいる仲間たちの「目線」と「表情」、そしてコンマ数秒のアイコンタクトです。音の情報が遮断されている分、私たちの空間把握能力と周囲を観察する集中力は極限まで高まります。ボールを持っていないプレーヤーが次にどう動くのか、相手ディフェンスの重心がどちらに傾いているのか。視界に入るすべての微細な変化から、次のプレーをコンマ数秒単位で「予測」していきます。

——声で「リバウンド!」など叫べない環境で、戦術の伝達や指示はどのように行われているのですか?

丸山氏:瞬時に意志を伝えるための独自の「ハンドサイン」や「クイック動作」を使っています。例えば、リバウンドやカットインの指示、ゾーンディフェンスの切り替えなど、コート上で交わされるサインは無数にあります。

 でも、ハンドサイン以上に雄弁なのが「顔の表情」なんです。眉間のシワの寄せ方、眉の上がり具合、目線の細め方、あるいは一瞬のウィンク。そうした顔全体のニュアンスひとつで、「もっと強く来い」「今、裏へ走れ」といった感情の強度や細かなニュアンスまでがダイレクトに相手へ伝わります。外から見れば静寂に包まれたコートに見えるかもしれませんが、コートの中では言葉や音を超えた熱い情熱と意志が、激しく飛び交っています。

——3歳で聴覚障がいが判明し、小・中・高校と聴者に囲まれてバレーボール、バスケットボールを続けてこられました。

丸山氏:ずっと「自分は周りと同じだ」と思いたかったし、自分が聞こえない現実を素直に受け入れられずにいました。中学でバレーからバスケへ転向し、素晴らしい指導者や仲間に恵まれて走る楽しさを知りましたが、成長するにつれて「聞こえないことによる壁」が確実に厚くなっていったんです。

 コート上でも日常会話でも、相手の話していることが聞き取れなくても、笑って頷いて分かったふりをしてしまう。周囲に気を使わせたくない、自分が孤立したくないという一心で、ずっと「偽りの自分」を演じ続けていました。体力的・技術的には負けていないのに、連携の場面で一歩遅れてしまう。聴者の中でプレーすることの限界と、どこにも吐き出せない孤独感を常に抱えていました。

「雷に打たれた」デフバスケとの出合いで偽りの自分から脱却

——その「偽りの自分」を打ち破り、真の自分を取り戻すきっかけとなったのが、18歳でのデフバスケットボールとの出合いですね。

丸山氏:父の知人の紹介で、初めてデフバスケットボールの合宿に参加した日のことは、今でも鮮明に覚えています。コートに立った瞬間、衝撃を受けました。そこには、身振りや表情、手話を交えながら、自らの意思を堂々と表現し、コート上を弾けるような笑顔と熱量で駆け巡る選手たちの姿があったんです。

 「聞こえないこと」を隠す必要なんてどこにもない。声がなくても、こんなにも熱く、激しく、自分らしくバスケを楽しめる場所があるんだと。雷に打たれたような感覚でした。18年間抱え続けてきた葛藤や鎧が、音を立てて崩れ落ちていくのを感じました。「自分を隠さなくていい、ここが私の生きる場所なんだ」と心が解放され、自分の障がいを受け入れて前を向く覚悟が決まった、私の人生最大のターニングポイントでした。

――手話はどのように勉強したのでしょうか?

丸山氏:元々手話を身につけられる環境にはいたのですが、当時の私は手話の必要性を感じていなくて、覚えようともしていなかったんです。ただ、デフバスケットボールとの出合いをきっかけにたくさんのろう者と出会い、見よう見まねで覚えていく中で「手話ってこんなに楽しいし、面白いんだ!」と感じるようになりました。机に向かって勉強したというよりは、完全に「習うより慣れろ」の実践型でしたね。

——日本代表選出後の2019年の世界選手権でベスト7入りに貢献。世界で戦える手応えや課題は感じましたか?

丸山氏:日本代表が出場した予選リーグは、上位2チームが決勝トーナメントに進出する形式で、私たちはスピードとスタミナを武器に突破を目指しました。予選のイタリア戦など、最後までどちらが勝つかわからない大接戦もあり惜しくも敗れてしまった試合もありましたが、最終的に世界7位という結果を残すことができました。

 ただ、世界選手権でベスト7に入れたことで、日本のスピードや、目線・サインでのコミュニケーションは世界にも十分通用するという大きな手応えを感じました。一方で、海外選手の圧倒的なフィジカルの強さや高さを痛感し、個々のスキルアップと、どんなフィジカルにも負けないチームワークの強化が今後の課題だと強く感じた大会でした。

絶対王者のアメリカを破って掴んだ金メダル…子どもたちに示した矜恃

――そして2025年東京デフリンピックでの悲願の金メダルを獲得しました。絶対王者のアメリカを破り、世界の頂点に立った瞬間の感情をお聞かせください。

丸山氏:2019年のイタリア戦で敗れたあの悔しさを、私たちは片時も忘れたことはありませんでした。あの敗戦から「世界で勝つために何が足りないのか」を突き詰め、フィジカルの強化と、日本の強みである運動量・プレッシング・速攻の精度を極限まで磨き上げてきました。

 2025年の東京デフリンピックは、自国開催という大きなプレッシャーもありました。しかし、決勝のアメリカ戦で試合終了の点滅ランプが灯った瞬間、これまで歩んできた道のり、苦しい練習、支えてくれた方々の顔が一気に頭を駆け巡り、涙が止めどなく溢れ出しました。日本の緻密な連動性とスピードが、世界の高さとパワーを破った快挙であり、自分たちの選択が正しかったと証明できた瞬間でした。

 いろいろな反響があったなかで最も印象的だったのは、講演会などで学校を訪れた際、子どもたちから「金メダルすごくかっこいい!」とか「耳が聞こえなくてもこんなにできるんだ」と言ってもらえたことです。メダルを首にかけながら目を輝かせて夢を語ってくれたり、耳が聞こえない子どもたちが「自分もデフリンピックを目指したい」と言ってくれたり。私たちが金メダルを目指して戦ってきた意味を改めて深く実感して、すごく胸が熱くなりました。

——金メダルを獲得し、日本代表は「追う側」から「追われる側」へと変わりました。2029年のデフリンピック・ギリシャ大会での2連覇に向け、どのような課題を見据えていますか。

丸山氏:世界は間違いなく「日本対策」を研究してきます。海外選手の圧倒的な高さとリーチ、激しいフィジカルコンタクトに対して、これまで以上のスピードと持久力で対抗しなければなりません。

 具体的な課題は2つあります。1つ目は、どれだけ激しいコンタクトを受けても体幹をブレさせず、高い確率で決め切るシュート精度の向上。2つ目は、相手のディフェンスシステムを一瞬で見抜き、コート上の5人全員が同一のイメージを持って連動する「予測力のさらなる高速化」です。頂点に立ったからこそ、現状維持は後退を意味します。徹底的な自己分析とフィジカルトレーニングで、誰も追いつけない領域までチームを進化させていきます。

デフスポーツの第一人者として一般社会との「接続点」を増やす

——丸山さんは女子選手として初めて「デフアスリート社員」としての道を切り拓き、さらに一般社会とデフスポーツを繋ぐ「DEAF SPORTS BASE」を設立されました。この取り組みに込めた想いをお聞かせください。

丸山氏:以前は昼間に一般業務をこなし、夜に練習へ駆け付けるという過酷な環境でした。しかし、前例がなかった女子デフバスケットボール界におけるアスリート雇用のパイオニアになりたいという想いから周囲に働きかけ、競技やボディケア、食事管理に100%集中できる「アスリート社員」の環境を自ら勝ち取りました。

 そして今、同時に取り組んでいるのが「DEAF SPORTS BASE」です。日本には約1000万人の障害がい当事者がいると言われていますが、首都圏と地方ではスポーツに触れる機会や情報量に巨大な格差が存在します。私は福井県出身ですが、地方に住む聴覚障がいの子どもたちは「デフスポーツ」の存在すら知らず、スポーツをあきらめてしまうケースが多々あるんです。

 デフラグビー日本代表の大塚貴之選手と共に立ち上げたこの拠点を通じて、全国の子どもたちにデフスポーツの体験機会を提供し、スポーツ手話通訳を育成し、地方から世界へ羽ばたく環境を作りたい。競技の枠を超えて「音のない世界」の魅力を発信し、地方の当事者たちに選択肢を届けることが私の使命です。

——経営者をはじめ、一般社会の企業や人々がデフスポーツと接続していくことの意義について、どのように考えていますか。

丸山氏:社会には、私たちが無意識のうちに作り出している「見えない壁」が存在します。障がい者と健常者を分ける壁、地方と都市を分ける壁。しかし、ビジネスの世界でもスポーツの世界でも、本質的なプロフェッショナリズムやパッションに壁はありません。

 「障がい者を救う」「支援する」という一方的な関係ではなく、私たちが静寂のコートで培ってきたコミュニケーション力や状況変化への柔軟な適応力は、多様性が求められる現代社会やビジネスの現場にこそ必要な学びになるはずです。健常者も障がい者も対等なパートナーとして混ざり合い、お互いの強みを活かして社会を面白くしていく。一般企業や経営者の方々と手を取り合い、その「接続点」を増やしていくことが、これからの社会をより豊かにすると信じています。

——障害や環境の壁に悩む次代を生きる若者たちへ、メッセージをお願いします。

丸山氏:かつての私も、「聞こえないから」「周囲と違うから」と自分で勝手に限界の壁を作り、周囲に合わせて「偽りの自分」を演じていました。でも、一歩踏み出してありのままの自分を受け入れた時、世界は180度変わりました。

 社会や環境のせいだと思うことも、実際にその壁が存在するのも事実です。しかし、最終的に自分の限界を決めてしまうのは、他の誰でもなく自分自身の心です。壁に見えるものは、自分が飛び越えるために準備されたハードルに過ぎません。失敗を恐れず、臆することなく自分の「やりたい」という熱量に素直になって一歩を踏み出してください。あなたの可能性は、あなたが思っている以上に無限に広がっています。

TRENDING
TOP 10

A curated selection of our top 10 interviews, featuring thoughtful conversations with
leaders across industries. From defining moments and critical decisions to future
visions and strategies, each story offers valuable insights into how they think, lead,
and shape what comes next.