かつてメディアで働き、スポーツ記者として活躍したパレスホテル東京の吉原大介社長。
創業家としてホテルの建て替えを機に立たされた人生最大の岐路で大きな決断を下した。
「迷ったら前に進む」。野球に育てられた学生時代の原体験から現在の経営哲学に迫る。

株式会社パレスホテルの代表取締役社長・吉原大介(よしはら・だいすけ)氏は、かつてメディアで記者としてスポーツを中心に10年間を過ごし、松井秀喜選手などの大リーグ担当として第一線を歩んできました。

しかし、2009年、パレスホテルの建て替えを機に、人生最大の岐路に立たされます。決断までに要した歳月は3年。建て替わるホテルを目にしながら、「迷ったら前に進む」と決意し、記者としての活動に終わりを告げ、ホテル業界への転身へ舵を切りました。

高校時代の悔し涙から始まり、記者としての葛藤、そして経営者としての覚悟――。吉原さんの半生には、いくつもの「転機」が折り重なっています。今回は、幼少期の原体験から現在の経営哲学まで、じっくりとお話を伺いました。(内田勝治=ライター)

引っ込み思案の少年が背番号1を勝ち取るまでの軌跡

――吉原さんは野球少年だったそうですね。野球を始めたきっかけを教えてください。

吉原大介社長(以下、吉原氏):社宅に住んでいた幼少期は本当に引っ込み思案な子どもで、自分から前に出るタイプではありませんでした。同世代から年上の子まで一緒に遊ぶ、社宅ならではの独特なコミュニティのようなものがありました。野球のきっかけはその社宅の駐車場で、幼稚園か小学校1年生くらいの頃、テニスボールを使って年上の子に混ぜてもらって遊んだのが野球との出会いでしたね。父や親戚に野球経験者がいたわけでもなく、本当にあの社宅での遊びがすべての始まりでした。

――小学校時代に米国でも野球を経験されたそうですね。

吉原氏:小学2年生から4年生まで、父の仕事の関係で米国に住んでいました。現地でリトルリーグに1年ほど所属していたんです。日本と大きく違ったのは、ポジションが固定されていなかったこと。1イニングごとにショート、次はファースト、その次はピッチャーというように、ポジションがどんどん変わっていくんです。特定のポジションを極めるという感覚ではなく、いろいろなポジションを経験させてもらい、楽しむ野球、「ベースボール」を教えてもらったような気がします。帰国後、少年野球チームに入ったのですが、監督にピッチャーをやってみないかと言われた時は、「ストライクが入る自信がないから」と、自分から断っていました。

――中学校時代はどのような野球生活だったのでしょうか。

吉原氏:中学では内野手だったのですが、最後の大会で、エースだった投手がケガをしてしまって、投げられる人間がいなくなってしまったんです。それで急遽ピッチャーとして投げることになった最後の大会は初戦で敗退してしまいました。

 もともと野球自体はずっと好きでした。当時はサッカーが今ほど盛んな時代ではなかったので、ラグビーという選択肢もあって、小学生の頃はラグビーもやっていましたが、タックルされるのが怖くて、最終的には野球一本に絞りました。

――慶應義塾高時代は最終的にエースになったと伺いました。詳しく教えてください。

吉原氏:中学時代の憧れの先輩が、高校で夏の大会を戦う姿を見てカッコいいなと思い、野球部に入ったんです。最初は野手で、1年生の秋には肩の強さを買われてサードのレギュラーになったんですが、2年春の試合でエラーを連発してしまって、試合中に監督に背番号を剥がされ、そこで完全にクビになりました。その後、1年生に良い選手が入ってきてサードのレギュラーを奪われ、行き場がなくなってしまって……。中学時代最後にピッチャーをやっていたこともあったので、もう一度ピッチャーに挑戦することにしました。ただ、2年の夏は背番号20、自分たちが最高学年になった秋も24。本当に5番手、6番手くらいの選手だったんです。

 それでも監督がどこかに可能性を見いだしてくれたんでしょうね。当時のエースをキャッチャーにコンバートして、僕をピッチャーとして鍛えてくれました。冬を越えたら背番号1になっていて、3年春の神奈川県大会で準優勝。関東大会準々決勝で、その夏に全国制覇をする帝京(東東京)に3対6で負けてしまいましたが、本当にワンチームで駆け上がった、忘れられない経験です。

 当時はスポーツ推薦のような仕組みもなく、硬式経験者もほとんどいないチームでしたから、1つの方向にみんなが向かうとここまで強くなるんだ、という驚きがありましたね。

大学まで野球を続けたことでマスコミ業界に興味

――高校最後の夏、地方大会の決勝で敗れたことが後の人生に大きく影響したと伺いました。

吉原氏:あと1つ勝てば甲子園でした。多分あそこで勝って甲子園に行けていたら、僕は燃え尽きて野球をやめていたと思います。

 実際、同期でそのまま大学まで野球を続けたのは僕1人だけでした。甲子園に届かなかった悔しさがあったからこそ、大学でも野球を続けようと思えたんです。今でも夏の甲子園の開会式を見ると涙が出そうになります。あの仲間たちと甲子園に出られていたらどんなに楽しかっただろう、という思いが今でも蘇ってきます。

――慶應義塾大卒業後、なぜメディアの世界を志したのでしょうか。

吉原氏:高校時代、僕たちのチームがとあるテレビのニュース番組で10分ほどの特集をしてくれたことがあったんです。それを見て嬉しかったですし、自分もスポーツで人を喜ばせたい、スポーツの素晴らしさを伝えたい、とスポーツメディアの世界を志すようになりました。ただ、就職活動ではテレビ局に落ちてしまい、電力会社に就職しました。しかし、その後も諦めきれず転職活動を経てメディアに就職することができました。メディアにいた10年のうち、スポーツ担当として6年ほど過ごすことになります。

 最初はサッカーや相撲の担当でした。希望していた野球の担当ではなかったですが、とりあえず与えられた仕事をやるタイプでした。

 2007年、松坂大輔投手がいたレッドソックスのワールドシリーズを取材したことや、イチロー選手、ゴルフの石川遼選手、テニスの錦織圭選手ら日本人が世界の舞台で戦う瞬間に立ち会えたことは、今でも忘れられない経験です。

――記者から創業家としてパレスホテルへの転身は、どのように決断されたのでしょうか?

吉原氏:ホテルの建て替えが始まった2009年から、父に何度か「どう考えているんだ」と声をかけられていました。ただ、すぐには決断できず、決めるまでに3年かかりました。2011年、米国への長期出張前に、もう一度呼ばれて「どうするんだ。建て替え前に入らないと、社員は認めてくれないし、建て替わった後では、もう入ることはできないぞ」と改めて言われました。

 このまま今の人生を続けたらどうなるか、新しい人生に踏み出したらどうなるか…。知らない世界に飛び込む不安はもちろんありましたが、最終的に「ホテル業界に行こう」と決めました。自分にしかできない役割がきっとあるはずだと思ったこと、そして迷ったら前に進むと決めていたこと。この2つが決め手でした。電力会社からメディアへ転職した時もそうでしたが、周りに仕事の愚痴はこぼすのに、決断する時はいつも誰にも相談せずに自分で決めてきました。

――メディアを辞める際の心境について教えてください。

吉原氏:最後の取材は、忘れもしない大リーグのワールドシリーズでした。11月、セントルイスの地で取材して報じた後、「これでメディア人生が終わるんだ」という寂しさは正直ありました。スポーツを見るたびに最初は未練のようなものを感じる時もありましたが、今はホテルの仕事の方が楽しいと思えています。24時間365日休むことなく稼働している中でのプレッシャーはありますが、結婚式だったり、記念日だったり、お客様の幸せなひと時に携われることは、何よりも嬉しいことです。

覚悟のパレスホテル入社…コロナ禍の2020年に社長就任

――入社後はセールス&マーケティング部副部長、経理部副部長を歴任。2016年に米国コーネル大学大学院を卒業後はパレスホテル東京の副総支配人などを経て、2020年に現職となられた時は新型コロナウイルス禍の真っ只中でした。ホテル経営はどのような日々でしたか?

吉原氏:最初の1年間は、この先どうなるのか分からない不安でいっぱいでした。なかなかコロナ禍が収まらない状況に、スタッフのモチベーションが大きく下がった時期もありました。特に、東京オリンピックの開催を目標に入社してきたスタッフが多かったので、開催延期や無観客開催が決まった時のショックは大きかったですね。

 ただ、その中で救われたのは、高校、大学の野球部時代からの人脈でした。お客様がほとんどいらっしゃらない状況でも、野球部の先輩や後輩たちが電話をくれて食事に来てくれたり、身内の食事会で使ってくれたり……。そういう温かさやありがたさを、身にしみて感じた時期でした。

――良い人材を確保するために、意識していることはありますか。

吉原氏:ホテル業界というと、フロントスタッフやシェフとして働くイメージが強いと思います。もちろんホテルにとって、現場が一番重要なのですが、ホテルを新たに開発する仕事も今の当社にはあります。ホテルが一つの都市にできることで国内外の観光客が訪れる。ホテルは、地域創生や街づくりに繋がると思っています。そういった側面もしっかりPRすることで、事業構想型の人材にも興味を持ってもらえるようになってきました。給与や休日の面では、他業界に負けないようにもっと良くしていかなければと考えています。

星野仙一さんの言葉「迷ったら前へ」が信条

――野球で培った経験は、経営にどのように活きていますか?

吉原氏:チームスポーツというのは、スタープレイヤーだけでは成り立ちません。チームを支える人間がいて、皆が同じ方向を向くことで1+1=2ではなく、3にも4にもなったりと、強い力になるんです。これはホテル経営にもそのまま当てはまります。1人のお客様には多くの人たちがかかわってくれています。直接、お客様と接する部署だけでなく、お客様がお越しになる前に準備をしてくれている人たちがいて、初めて良いサービスが出来るんです。だからこそ、現場の最前線で働いている人たちが一番だという思いは常にあります。感謝を忘れてはいけないと思えるのは、やはりずっと野球をしてきて、レギュラーとメンバー外のどちらも経験できたからだと思っています。

――今後の展望について教えてください。

吉原氏:外資系グローバルチェーンと量で勝負することは考えていません。立地から、ひとつひとつ丁寧にこだわり、質で勝負していくことが、我々のような独立系のホテル会社は大事だと思っています。「ミシュランキーホテルセレクション」で最高評価である「3ミシュランキー」に選出されるなど、お客様に評価をいただいているパレスホテルのブランドを活かして、他の地域にも展開していきたいですし、宿泊主体型の「Zentis」ブランドも増やしていきたい。数を追うのではなく、質を追う中でも、堅実に施設数も拡大していき、パレスホテルで働く人たちがキャリアビジョンを描けるような会社にしていきたいと考えています。

――最後に、今後もしご自身が誰かに転機をもたらすことができるとしたら、どんな言葉をかけてあげたいですか。

吉原氏: 「迷ったら前へ」ですね。中日や楽天などで監督をしていた星野仙一氏の言葉です。僕はこの言葉を大事にしています。「迷ったら前に、苦しかったら前に、辛かったら前に。後悔するのはそのずっと後でいい」。人生は一回きりだから、やって後悔した方が、やらずに後悔するよりずっといいと思うんです。

前に進んで、もし間違っていたのなら、またその道を戻ればいいだけです。それくらいの軽やかさで、目の前の分岐点に飛び込んでいってほしいですね。

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